十字軍と地中海世界/太田敬子


 山川の世界史リブレットの107冊目。著者はムスリム・キリスト教徒関係史とイスラーム時代中東社会史を専攻しているとのことらしい。

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テルマエ・ロマエ買いました&風呂文化あれこれ

 いやあ、気になってたんで今日三冊まとめ買いしたんですが、面白いですね、これ!
 有名なので説明するまでもないかもしれませんが、古代ローマの建築技師が現代日本へタイムスリップして……(※ただし風呂場限定)というお話。マジメくんがマジメにやってるだけなのに、舞台が転げるといい感じに笑えてくるという好例。
 バカバカしいながらも考証が割合ちゃんとしてるってことなので(ローマは専門外なので伝聞)、歴史ものとしてもよいのではないかと。ハドリアヌス帝も出てくるし。
 各話毎の解説というか随筆も適度に読みやすくていい感じです。



 余談ながら、ローマ後のヨーロッパでは一部の地域を除いて風呂文化は廃れていきます(水浴びして体洗ったりはしてたようですが)。どうやら混浴の風呂で「そういう」行為に及んだ人が多かったらしく、「そういう」病気が流行ったとかなんとか……。一方、その後のイスラム圏では(というか今でも)ハマムという浴場が一般化してます。イスラム圏なので当然ながら男湯女湯は別です。
 十字軍映画「キングダム・オブ・ヘブン」のDC版でオーランド・ブルーム演じる主人公のバリアンが風呂に入ってるシーンがありますが、あれ、実は風呂がヨーロッパになかったため、バリアンがイスラム文化に親しんでますよ、ということを示すシーンなんですね。劇中では何の説明もなかったけど。
 オスマン帝国の侵攻によって占領されたハンガリーで、雨後のたけのこのようにハマムが建てられたという面白い話も残ってます。ローマ以来の伝統もありますが(ローマの時からブダは温泉だらけだったそうな)、一般人が入れる大衆浴場をこれでもかと建てたのはオスマンの人たちだったようです。(すこし話がずれますがハンガリーのお隣のチェコでは「飲む温泉」が流行ってるとか……)
 イスラム圏で浴場は病院やモスクと同じくワクフで経営されていることも多いようなので、公共施設としてしっかりと地位を占めてたようです。

 日本人は無類の温泉好き、風呂好きですが、他所の国の風呂事情を調べてみるのもなかなか面白いかもしれません。

吐蕃あれこれ

吐蕃王国って実は強いんじゃね?ということに思い当たった今日この頃。
吐蕃というのは今のチベットにあった王国で、初代国王ソンツェン・ガンポの名前くらいは教科書にも載ってんじゃないかと思います。あと、ソンツェン・ガンポに嫁いだ唐の文成公主も一部の人たちの間では有名かもしらん。

吐蕃は中国語表記で正しくはトゥプト、王号をツェンポというそうな。(トゥプトのソンツェン・ガンポ・ツェンポ=吐蕃のソンツェン・ガンポ王)
ソンツェン・ガンポ王には有能なガル・トンツェンとトンミ・サンボータなる二人の大臣がいたようです。
ガル・トンツェンは唐に使節として出向いたほか、知事の任命を王に進言したそうですが……知事ということは世襲ではなかったのだろうか。律令的な国家体制であった可能性は、まあ唐のお隣ですから十分考えられますが。
トンミ・サンボータはインドに出かけてサンスクリット語やカシミール語の知識を活用して初のチベット文字を作り、仏教経典の翻訳を進めたとのこと。

吐蕃が存在していた期間には唐と概ね重なり、草原では突厥からウイグルの時代(そして吐谷渾も長く存続)、西アジアではササン朝が滅んでウマイヤ朝からアッバース朝に変わり、インドではヴァルダナ朝が最盛期を迎え、分裂していきます。
で、だ。実は吐蕃、この四勢力(中華、ステップルートの遊牧民、イスラーム帝国、インド)全てと干戈を交てます。まあ囲まれてるから当然っちゃ当然なんだけども。
唐の高仙芝と李嗣業がタラス河畔でアッバース朝のズィヤードにぶちあたったのも吐蕃の兵を叩いて西征してたらいつの間にか目の前にアッバース朝が出来てた、ってな風に見えなくもない。
吐蕃兵がサマルカンドを攻撃したという記録もあるようですが……さてソースはどこだ。

案外知られてないようですが、吐谷渾(モンゴル系の鮮卑慕容部の枝族)を滅ぼしたのは実質上吐蕃だったそうです(唐末の赫連鐸らは生き残り)。北朝から隋唐は鮮卑拓跋部の系統で、中国の史書では吐蕃王室も拓跋部の出身(※チベットの伝説ではインドの王族)ということになっているので、7世紀のユーラシア東方はプレモンゴル時代ながらモンゴル系の鮮卑が多くを支配してしかも壮大な身内喧嘩をしていることに……。

吐蕃が最盛期を迎えるのは8世紀のティソン・デツィンの時代。在位実に55年間という名君で、仏教を奨励したり、安史の乱に乗じて長安を占領したりしたそうな。(どこぞのカーヌーニーのようですが、実際吐蕃もこの後衰退します

主力兵科は騎兵だった模様。チベット系の羌と言えば精強な山岳騎兵で知られてますし。

ものの本を読んでると専ら中国史料の活用が目に付きますが、吐蕃がアフガニスタンと接していた以上、アラブ史料にもそれなりに残ってるんじゃないのかと思わないでもない。

宋の太祖 趙匡胤/小前亮


 宋の建国者、趙匡胤が皇帝となるまでを描く。

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馮道――乱世の宰相/礪波護


 仕えた君主は五朝八姓十一君、五代十国時代に王朝を渡り歩き、あまつさえ異民族のキタイにも仕えた漢人宰相馮道の評伝。五代の通史としても簡便。

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紀行モロッコ史/那谷敏郎


 著者が実際に現地に赴いた際の紀行文と交えながら書かれた、モロッコを含めたマグリブ(北アフリカ)の通史。

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536年 記事番1 カトワーンの戦い

イスラム歴536[西暦1141-1142]年 完史英訳1巻P359-363
「スルタン・サンジャルのカラキタイによる敗北と、彼らによるトランスオクシアナの征服」

括弧内は管理人の注
管理人は翻訳・要約に責任を持たない

以下訳文と要約

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イスラム・スペイン千一夜/小西章子


 イスラーム・スペインを通史的に見る。どちらかというと歴史書よりは随筆に近い。

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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
当ブログは一介の歴史好きが読んだ本を紹介したり、書いた文章を公開したりするための場です。執筆記事は西アジア史関係が多いですが、読書は西アジアにこだわらず地域・時代を広く浅く扱っています。
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