近況・新刊情報と最近読んだ本など

 誘われて呉越国展と大妖怪展に行ってきました。
 呉越国展の方は案の定というかなんというか祝日だというのにあんまり人がおらず。ゆっくり見れたのでそれはそれでよかったのですが。仏教関連の遺物が多く、江南らしいなあというところ。
 大妖怪展は妖怪だけでは間が持たなかったのか幽霊や、こちらも仏教関連の展示が見られました。

 さて、新刊情報。
 吉川弘文館11月の「人をあるく」シリーズは中澤克昭『真田氏三代と信濃・大坂の合戦』。大河の放送中にねじ込んできた感じでしょうか。
 彩流社12月には『スペインレコンキスタ時代の王たち(仮): 中世八〇〇年の国盗り物語』という本が。学術書というより読み物に近い感じのようです。
 明石書店からはエリア・スタディーズシリーズの新刊が二冊。森井裕一[編著]『ドイツの歴史を知るための50章』、立石博高・内村俊太[編著]『スペインの歴史を知るための50章』。いずれも10月31日発売となっています。

 以下、最近読んだ本。

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お前が消えたって盃だけは残る―日本・イラン交流記―

 この記事のタイトルは中世イラン(ペルシア)の飲んだくれの大詩人、オマル・ハイヤームの『ルバイヤート』の一節ですが、どことなく日本人好みの無常観の漂う詩であると思います。日本とイランの関係と言えばつい先日、平城宮跡で出土した木簡にイラン人と思しき人名が書かれている、ということがニュースになりました*1。奈良文化財研究所の史料研究室の渡辺晃宏室長によると、当該木簡には「破斯清通(はしのきよみち)」という人名が記されており、清通が大学寮で働いていたことが分かるということです。
 渡辺氏も言及していますが『続日本記』には天平8年(736年)に「唐の人三人、波斯一人」(波斯=ペルシア)が来日して聖武天皇に謁見したという記事があります。この李密翳というイラン人が、清通本人か、あるいは関係者の可能性もあるとのこと。本当にイラン人であったかどうかはまだ何とも言えませんが、事実であれば夢のある話です。

 さて、日本とイランの交流と言えば、記事タイトルの酒碗というわけでもないのですが、正倉院に収蔵されている白瑠璃碗がアルサケス朝・サーサーン朝時代の墳墓から出土したガラス器と同類のものであるという話はとても有名です。山内和也氏によると、これがイランのものであると明らかになったのは偶然とも言える成り行きからだったそうです*2。1956年のことというのでもう半世紀以上前になりますが、東大のイラン・イラク調査団の一員であった故深井晋司氏が、骨董屋で正倉院の白瑠璃碗とそっくりのガラス器を見つけたというのです。今でこそ当然のように世界史の資料集などでは写真が並んでいたりしますが、骨董屋でがらくたに紛れており、透明度もなくすっかりくすんでいたそれを見つけて正倉院の白瑠璃碗と同類のものではないかとすぐに思い当たるのが流石と言うべきでしょうか。

 さらに、日本とイランの交流に関して、これも発見した本人曰く偶然であったということながら面白いエピソードがもう一つ。高山寺方便智院旧蔵で現在は個人蔵の重要文化財『紙本墨書南蛮文字』なる古文書があり、故羽田亨氏本人の言によると「偶々此寫眞を見て、這南番文字といふものヽ波斯文(新)なるが如きを思ひ、就て研究を試みしに、全く波斯の詩を記せるもの」であったとのこと*3
 鎌倉時代の僧侶に、慶政上人という御坊がいます。法華山寺の人で明恵上人とも交流があった人物であるらしいのですが、彼が1217年、宋の国へ渡り、泉州にいた時、船上で西方の風貌をした人と知り合い、記念に寄せ書きをしてもらったようで、それこそがこの『紙本墨書南蛮文字』だったのでした。慶政本人はこれがなにがしかありがたいお経であると思っていた可能性が高いようで、羽田氏がこれを見るまで(要するに700年ほどの間)誰も正体に気が付いていませんでしたが、実はこれはアラビア文字で記されたペルシア語であり、岡田恵美子氏によるとペルシア文学の金字塔『王書』こと『シャー・ナーメ』の一節と、長編恋愛詩『ヴィースとラーミーン』の「恋文」の一節であったのです*4
 当時泉州は中国における海外からの玄関口のような貿易港で、少し後の時代にこの地を訪れたマルコ・ポーロが「ザイトン(あるいはサルコン)」という名でその港の賑わいを伝えています。曰く、「このサルコンの港には、インドからやって来る船がかならず立ち寄り、香辛料や各種の貴重な商品をもたらすので、マンジ地方のあらゆる商人も買い付けにやって来る」「キリスト教国のために胡椒を積んだ船がアレクサンドリアの港にようやく1艘やって来るとしたら、このサルコンの港には100艘以上の船がやってくると言っても過言ではない」*5
 おそらく、慶政が出会ったのも貿易に携わっていたイラン人だったのでしょうが、案外、民間日宋貿易に関わっていたような日本人と、ユーラシア東西を結ぶ貿易に携わっていたイラン人は、中国の泉州や広州で日常的に出会っていたのかもしれません。

*1 「平城京にペルシャ人の役人がいたことが判明。「破斯清通」ってどんな人?」『ハフィントンポスト日本版』 2016年10月5日閲覧
*2 山内和也「正倉院のガラスを求めて――ギーラーン地方の考古学」『イランを知るための65章』
*3 羽田亨「日本に傳はれる波斯文に就て」『史学研究會講演集第三』
*4 岡田恵美子「海を渡った恋の詩――文化交流」『イランを知るための65章』
*5 月村辰雄・久保田勝一訳『マルコ・ポーロ 東方見聞録』 p. 194



 タイトルの詩の全文は以下の通り(訳は岩波文庫版の小川亮作訳による)。
「歓楽もやがて思い出と消えようもの、
古き好(よしみ)をつなぐに足るは生(き)の酒のみだよ。
酒の器にかけた手をしっかりと離すまい、
お前が消えたって盃だけは残るよ!」
 なお、『紙本墨書南蛮文字』については、ほぼ羽田氏と同時期にこの文書に着目した清の羅振玉(当時中国はまだ中華民国ではない)が紹介し、それを目にした東洋学の泰斗ポール・ペリオもこの文書について研究している。経緯については故前嶋信次氏が1952年の「泉州の波斯人と蒲壽庚」『史学』25にてまとめている。
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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