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615年 記事番10 カイカーウスのアレッポ侵攻

イスラム歴615[西暦1218-1219]年 完史英訳3巻P194-196
「カイカーウスのアレッポ領攻撃、その領主のアル=アシュラフへの屈服と、カイカーウスの敗北」

括弧内は管理人の注
管理人は翻訳・要約に責任を持たない

以下訳文
 この年、アナトリアの支配者であるイッズ=アッディーン・カイカーウス・イブン=カイホスローがアレッポを征服する意図でアレッポ領へ侵攻した。彼はサラディンの息子のアル=アフダルと連れ立っていた。これが引き起こされたのはアレッポに二人の邪悪かつ人々の間に問題を起こす男がいたことによる。彼らはしばしば統治者である、サラディンの息子のアル=ザーヒルに彼の領民について報告し、彼の心に憤慨を引き起こした。人々は彼らの手にさんざん苦しめられた。アル=ザーヒルの死、及びシハーブ=アッディーン・トゥグリルの統治権の継承後、後者(トゥグリル)は彼らと、彼らと同じようなことをやっていた人間を放り出した。彼はこのような方法を使う人間に門を閉ざし、彼の領民は誰も近づけなかった。この二人の男が彼らの売り物の需要が最早無いとわかった時、彼らはしっかりと家に閉じこもった。人々は彼らがこれまで行った邪悪から、彼らに対して立ち上がり、彼らを苦しめ脅した。彼らはアレッポから追い出されることを恐れ、カイカーウスに(助けを)求め、彼の街に対する計画をけしかけた。彼らは彼がそこを攻撃した時に、彼の前に崩壊し、彼がそこを取り、それを越えてなぎ倒す計画を心中に立てた。
 彼がこれを決心した時、彼の国の判断力のある人々は彼に助言を与えこう言った、「あなたは、これらの土地の人々や兵士が従うようにするには、アイユーブ家の誰かをを通じてでしか成し遂げられないでしょう。例えばサラディンの息子のアル=アフダルのような(人物を通してです)。彼はあなたに忠誠を誓うでしょう。あなたの最良の道は彼を連れ、あなたが征服する土地について理解のある誰かに影響を与えることです。彼があなたといるならば、人々はあなたに従い、あなたの望むものは容易に手に入るでしょう」。
 彼はスマイヤートからアル=アフダルを呼び出し、彼に栄誉を与え、大量の馬、天幕、武器その他のものを譲った。彼が征服するアレッポの土地と属領は、フトバを彼のために唱え、カイカーウスに従属する限りアル=アフダルに属するとの同意が結ばれた。彼らがジャズィーラ領を攻撃した後で、アル=アシュラフに属していた全てのもの、ジャズィーラのハッラーン、エデッサ、等は全てカイカーウスのものとなる。軍を集め出発することが誓われた。ラバーンの城はアル=アフダルに渡された。そこで、人々はこの二人の支援に回った。
 彼らはテルバーシルの城に赴き、そこの領主はバドル=アッディーン・ディルディリム・アル=ヤールーキーの息子だった。彼らは彼を包囲下に起き、彼に圧力をかけそこを彼から奪った。カイカーウスはそれを彼自身の所有とし、アル=アフダルに渡そうとしなかった。これはアル=アフダルの懸念を引き起こし、彼は「これは裏切りの端緒だ」と言った。彼はもし彼がアレッポを取れば彼は彼を同じように扱い、彼が獲得したもの全てから、他に味方して彼の一族を追い出されるのではないかと心配した。彼の努力はくじけ、彼は行動することから逃げた。それはこの地域の住民と同じであった。彼らはアル=アフダルがそこを統治するのを覚悟しており、それは彼らにとって耐えられることだった。彼らが逆の場合を見た時、彼らはためらった。
 アレッポの領主であるアル=ザーヒルの息子のアタベクであるシハーブ=アッディーンについて言えば、彼はアレッポの城塞にしっかりと留まっており、下りることもそこから去ることもしなかった。これはアル=ザーヒルの死後からの彼の習慣で、誰かが彼に対抗して立ち上がるのではないかと恐れてのことだった。この危機が起こった時、彼は彼らが彼の所へ来て、民衆や兵士達が彼(アル=アフダル)に期待するが故に街をアル=アフダルに明け渡すことを恐れた。彼はそこでジャズィーラ地域、キラートその他の君主、アル=アシュラフ・イブン=アル=アーディルに彼を呼び(助けに)来てくれるよう手紙を送り、彼らは彼に忠誠を誓い、彼のためにフトバをとなえ彼の名前でコインを鋳造しアレッポの属領の彼が選ぶものは何であれ彼が取ると宣言した、これはまた、アル=ザーヒルの子が彼の甥であるからだった。彼はこれに応え手持ちの兵と共に彼らの方へ向かって出発し残りを彼に加わるよう彼らのところへ送った。彼は全てに置ける共通の利点に喜んだ。彼はターイ他の部族のアラブを厚めアレッポの外に陣を張った。
 カイカーウスがテルバーシルを取った後、アル=アフダルは、防備と体勢を整えられる前、兵士がそこへ集まる前にアレッポを攻撃すべきであると提案した。彼は今回それを取らず、こう言った「我々の最善の道はマンビジその他を攻撃することで、我らの背後に何も遺すべきではない」決定を先延ばしし、時間を稼いだ。彼らはテルバーシルからマンビジの方へ進軍し、アル=アシュラフはアラブを先頭に立て、彼らに先行した。カイカーウスの軍の分隊は彼を守るために彼に先行した。彼らとアラブは一緒にアル=アシュラフの軍と遭遇し戦った。カイカーウスの兵士たちは敗れ、彼の元へ壊走した。アラブはおおくの捕虜をとり、彼らの馬はすばらしく、アナトリアの馬の状態が粗末であったので、多くの略奪品を得た。彼らの兵士達が戦いに彼の元へ来た時、彼はしっかりと立てなかったが踵を返し、彼の領地への旅程を帰っていた。彼が前線に着いた時、彼は行軍を停止した。彼はただ彼が戦争について知識が無く前衛と本隊と連続的に連絡を取るべきであることを知らなかったので、また考えられないほど若くいためにこのように行動した。
 アル=アシュラフがラバーンを包囲するために向かっており、テルバーシルを包囲している時、そこには死ぬまでに彼に逆らったカイカーウスの兵士達の死体が転がっていた。城塞は彼らから奪取され、彼らはアル=アシュラフによって自由になった。カイカーウスの元へ彼らが帰った時、カイカーウスは彼らを建物に詰め込み、火を放ち、彼らは非業の死を遂げた。これに激怒した人々は彼を非難し彼への尊敬を失った。彼の心に慈悲がないことにより、神は彼に長い休息を与えなかった。
 アル=アシュラフはテルバーシルと他のアレッポ領をアレッポ統治者のアタベク、シハーブ=アッディーンに引き渡した。彼はカイカーウスを彼の領土まで追うつもりだったが、彼の父、アル=アーディル死去の報が入った。フランクがエジプトにいるため、彼はアレッポへ戻ることを余儀なくされた。このような卓越したスルタンが死去した時、しばしば土地で動乱が起き、結果は予想できず、故に彼はアレッポへ戻りそれぞれは他から与えられた損害の修復に当たった。

要約
■今年、アレッポ征服の意図を持ってルーム=セルジューク朝のカイカーウス1世がアレッポ領へ侵攻
■原因はアレッポにいた二人の男(氏名不詳)
 ・領民に関する讒言を繰り返し、人々を苦しめた
 ・領主ザーヒルの死後、後を継いだ息子の後見人(アタベク)のトゥグリルがその連中を放り出した
■その二人がカイカーウスに助けを求めた
■カイカーウスの側近が、アレッポを支配するならアイユーブ家の人間の助けが必要であると主張
■カイカーウスはサラディンの息子のアル=アフダルを呼びつけ、領土分割の協定を結んだ
■テルバーシルの城を奪取したが、カイカーウスが協定を保護にしてそこをアフダルに与えなかった
 ・アフダルはこれを裏切りと感じた
■トゥグリルは城に引きこもって、アシュラフに助けを求めた
■アフダルは防備が整う前にアレッポを攻撃することを提案したが、カイカーウスは後顧の憂いを断つためマンビジに侵攻した
■アシュラフはカイカーウスらに先行した
■カイカーウスは戦術に拙かったので敗走
■敗残兵へのカイカーウスの処置は苛烈だった
■アシュラフはカイカーウスを追撃しようとしたが、アーディル死去の報が飛び込んできたため、留まることにした
プロフィール

鉄勒京二

Author:鉄勒京二
当ブログは一介の歴史好きが読んだ本を紹介したり、書いた文章を公開したりするための場です。執筆記事は西アジア史関係が多いですが、読書は西アジアにこだわらず地域・時代を広く浅く扱っています。
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