512年 記事番2 ムスタズヒルの死去

イスラム歴512[西暦1118-1119]年 完史英訳1巻P190
「アル=ムスタズヒル・ビッラーの死去に関する記事」

括弧内は管理人の注
管理人は翻訳・要約に責任を持たない

以下訳文
 この年、ラビール・アルアウアル月16日[原注:1118年8月3日]、アル=ムスタズヒル・ビッラー・アブール=アッバース・アフマド・イブン=アル=ムクタディー・ビ=アムル=アッラーが死去した。彼は胃の状態を病んでいた。彼は41歳6ヶ月6日で、彼がカリフ位に居たのは後の24年3ヶ月と11日間であった。後に挙げる人々が彼に宰相として仕えた、アミード=アッダウラ・アブー=マンスール・イブン=ジャヒール、サディード=アル=ムルク・アブール=マアーリー・アル=ムファッダル・イブン=アブドゥルラザーク・アル=イスバハーニー、ザイーム=アル=ルアサー・アブー=カーシム・イブン=ジャヒール、マジド=アッディーン・アブール=マアーリー・ヒバトゥッラー・イブン=アル=ムタリブ、そしてニザーム=アッディーン・アブー=マンスール・アル=フサイン・イブン=ムハンマド。アミーン=アッダウラ・アブー=サアド・イブン=アル=マウシラーヤと、裁判官の長のアブール=ハサン・アリー・イブン=アル=ダームガーニーは副宰相の役目を果たした。彼の宮廷のフトバで名前を呼ばれた三人のスルタンが彼の治世中に亡くなった。その彼らはタージ=アッダウラ・トゥトゥシュ・イブン=アルプ=アルスランとマリクシャーの二人の息子のスルタン・バルキヤールクとムハンマドであった。
 奇妙なことに、アル=カーイム・ビ=アムル=アッラーがスルタン・アルプ=アルスランの[原注:すぐ]後に史に、アル=ムクタディー・ビ=アムル=アッラーがスルタン・マリクシャーの後に死に、アル=ムスタズヒル・ビッラーはスルタン・ムハンマドのすぐ後に死んだ。

要約は無し
プロフィール

鉄勒京二

Author:鉄勒京二
当ブログは一介の歴史好きが読んだ本を紹介したり、書いた文章を公開したりするための場です。執筆記事は西アジア史関係が多いですが、読書は西アジアにこだわらず地域・時代を広く浅く扱っています。
当ブログの内容を雑誌・書籍等にご利用されたい場合はご一報下さい。
管理人への連絡は掲示板か拍手でどうぞ。

検索フォーム
カテゴリ
リンク
アクセスカウンター
月別アーカイブ