ノルウェー十字軍は1107年から1110年まで、第一回十字軍の直後にノルウェー王シグル1世により行われた十字軍。シグルは聖地へ遠征した最初のヨーロッパの君主で、十字軍の間に戦闘をして死去しなかった。ノルウェー十字軍はヴァイキングの襲撃によく似ていたが、ノルウェーの究極的な目的は、今回は違っていた。

■イェルサレムへの往路

ノルウェーからイングランドへ(1107-08)
シグルと彼の部下は1107年の秋に60隻の船とおよそ5000人前後の兵を率いてノルウェーを出航した。秋のうちに彼はヘンリー1世が王であったイングランドに到着した。シグルと彼の軍勢は1108年の春が訪れ再び西へ出航するまでの冬の間そのこに留まった。

イベリアの本土(1108-09)
数ヵ月後、彼らはガリシアのサンティアーゴに到着し、そこの地方領主から冬の間留まることを認められた。しかし冬が来ると食糧不足が起こり、そこの領主はノルウェー人達に食料などを売ることを拒否せざるをえなくなった。シグルは彼の軍勢を集め、領主の城を攻めて、出来る限りの略奪をした。
ノルウェー人の遠征の間、平和的な交易をする船を狙うヴァイキングのガレー船団と出会った。しかしシグルは彼の進路をヴァ委銀具の船団に直進させ、彼らの船を強襲した。短時間の後、ヴァイキングが逃げるか殺されるかした後、シグルは彼らから8隻の船を奪った。
シントラと呼ばれるムスリム・アル=アンダルスの城へ来た後、彼らは城を奪取し、キリスト教への改宗を拒んだそこにいた全ての人を殺した。その後彼らは、キリスト教徒とムスリムの間で分けられたことから「半分はキリスト教徒の、半分は異教徒の街」と呼ばれているリスボンへ出航した。彼らはそこで三度目の戦闘に勝ち、膨大な戦利品を得た。
四度目の戦いはアルカッセの街で勝ち、街が空になったと言われるほど多くの人を殺した。ここでもまた、彼らは膨大な戦利品を獲た。

バレアレス(1109)
ジブラルタル海峡での海賊に対する新たな勝利の後、彼らは中東のサラセンの地へ向けて航行し、バレアレス諸島にたどり着いた。バレアレスはキリスト教徒達に、海賊の天国であり基地であると知られていた。ノルウェー人達はまた、ムスリムのバレアレス諸島を攻撃した最初のキリスト教徒として記録されることとなった(しかし、小規模な小競り合いは以前にも起きている)。
最初にたどり着いたのはフォルメンテラ島で、そこでは多くの黒人とサラセン人が洞窟で争っているのに出会った。この争いの呪いは丸ごと十字軍によって書かれた情報に依り、恐らくはこの小さな島の歴史で最も著名な事件だろう。この戦いの後、ノルウェー人達はこれまで彼らが得たことのない程の戦利品を獲得しただろうと推定される。彼らはイビザへ行って攻撃し、次にミノルカ島へ向かい、どちらでも勝利を得た。ノルウェー人達は、その時は独立したタイーファ王朝の中心として繁栄し、良く要塞化されていたバレアレス諸島の中で最大のマヨルカ島への攻撃は避けたようである。
彼らの成功の物語はカタランピサンのバレアレス征服を勇気づけることになった

シチリア(1109-10)
1109年の春、彼らはシチリア島へ到着し、そこで彼らはその時わずか12,3才だったルッジェーロ2世の統治下で歓迎された。

パレスチナ(1110)
1110年の夏、彼らはとうとうアッカ港(もしくはヤッファ港)へ到着し、十字軍君主ボードゥアン1世によって収められていたイェルサレムを目指した。彼らは暖かくむかえられ、ボードゥアンはシグルと共にヨルダン川まで遠乗りに出かけ、イェルサレムへ戻ってきた。
ノルウェー人達は多くの宝と、イエスが背負った真の十字架の破片を含む聖遺物などを与えられた。これは彼らがキリスト教の布教を続けるきっかけとなり、それは聖オーレフ(オーレフ2世)が埋められた場所に置かれた。

シドン包囲(1110)
 詳細はシドン包囲を参照
シグルがアッカに戻った後、ボードゥアン王はムスリムのシリアのシドンへ向かっていた。シグルと彼の部下も包囲に加わった。街は奪取され、後にシドン侯領が置かれることになった。

■ノルウェーへの復路

コンスタンティノープルへ(1110)
シグルと彼の部下がキプロスへ向かった後、彼らはそこで少しノア委だ滞在し、ギリシャへ向かい、エンギルスネス(? Engilsnes)と思われる港へ入った。彼らはシグルが横風を待つのを望んだためここにしばらく滞在し、満帆に風をはらませてビザンツに強いイメージを与えようとした。
最終的にコンスタンティノープルへ入った彼らは「大地の上のいたるところに自治都市、城、街があり、しかもその間には隙間が無い」と行っている。シグルの船の帆は一番大きいものを除いて畳まれた。コンスタンティノープルの人々はシグルが街へ入ってくるのを見、アレクシオス1世は街の港を開いた。

ノルウェーへ(1110-13)
シグルがノルウェーへの帰還の準備をしている時、彼は彼の船と価値ある船首像の全てをビザンツ皇帝アレクシオス1世に譲った。見返りに、シグルは陸路を行くための多くの馬を譲り受けた。彼の部下の多くはビザンツに仕えることになった。
シグルは恐らく3年をかけ、ブルガリアからハンガリーのパンノニア、シュヴァーベン、バイエルンを通り、そこで神聖ローマ帝国の皇帝、ロタールと面会した。彼は後にデンマークへたどり着き、そこでニルス王と出会い、彼は彼に船を譲り、そして彼はノルウェーへ帰還することが出来たと思われる。
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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