589年 記事番1 サラディン死後

イスラム歴589[西暦1193]年 完史英訳3巻P7
「サラディン死後の彼の一族と子供達の状況に関する記事」

括弧内は管理人の注
管理人は翻訳・要約に責任を持たない

以下訳文と要約
 サラディンがダマスカスで死んだ時、彼の長男のアル=アフダル・ヌール=アッディーン・アリーは彼と共にいた。彼が生きている間、サラディンは複数回にわたって軍の忠誠をアフダルに誓わせたので、彼の死後アル=アフダルはダマスカス、沿岸の平原、イェルサレム、バールベク、サルカド、バスラー、バニヤース、フニーン、ティブニーン、及びダールームまでの範囲の全ての地区の統治者となった。
 彼(サラディン)の息子のアル=アジーズ・ウスマーンはエジプトにおり、そこの支配権を握り、彼の統治は確固として始められた。別の息子、アル=ザーヒル・ガーズィーはアレッポにいた。彼はそこ(アレッポ)及びハーリム、テルバーシル、アザーズ、バルズィーヤ、ダルバサーク他その(アレッポの)属領の統治権を握り、その間ハマーにいたタキ=アッディーン・ウマルの息子のマフムードが彼に忠誠を誓った。ホムスにいたシールクーフ・イブン=ムジャーヒド・イブン=シールクーフはアル=アフダルに忠誠を誓った。
 アル=アーディルは我々が記した様に、既にカラクへ移っており、しっかりとそこに留まり、彼の甥たちの誰にも後見人となろうとする態度を見せなかった。アル=アフダルは彼に出席を求める手紙を送った。アル=アーディルは応じる旨を約束したものの、それをせず、故にアル=アフダルは伝達を繰り返し、エジプトのあるじのアル=アジーズ、モスルのあるじのアタベク・イッズ=アッディーン(ザンギー朝君主)と組んで、脅そうと試み、(その結果)後者(イッズ=アッディーン)がモスルからジャズィーラのアル=アーディルの領地に踏み入れたため我々はその様子を以下に記す。アル=アフダルは彼に以下のように言った「あなたが来れば、私は兵を整え、あなたの領地へ進駐して彼らを守りますが、あなたが留まるならば、私の兄弟のアル=アジーズがあなたをあなたの敵意故に攻撃するでしょう。イッズ=アッディーン殿が貴方の土地を取れば、シリアを彼から守るものは何も無くなります」。彼はまた彼の使節に以下のように言った「彼がお前と一緒に戻ってくれば、[それは素晴らしいが]、もしそうでなければ、彼に言え『私は私の部隊を持っている。あなたがもし彼をダマスカスへ連れてこないなら、私があなたと共に戻るが、もしあなたがそれもしないのならば、私はアル=アジーズの元へ行き、同盟を結びます』と」
 使節が彼の所へ来た時、彼は彼と共に行くことを約束したが、しかし死者は彼が彼の約束にかかわらず何も彼から引き出せないことを知り、彼(使節)は彼(アーディル)に彼(使節)が何を言われたかを語り、アル=アジーズのもとへ向かうと言った。その結果、アル=アーディルはダマスカスへ赴き、アル=アフダルは彼と共に一軍を備えた。彼はまた、モスルの領主からこれらの地を守り、それをしない場合の事の重大さを警告するため、ホムスとハマーの統治者(シールクーフとマフムード)、アレッポの兄弟アル=ザーヒル・ガーズィーにアル=アーディルが向かうジャズィーラに軍を送るよう要請した。他に彼がアル=ザーヒルに言ったのは以下のようなことであった「お前はシリアの民のアタベク家(ザンギー朝)への情を知っているだろう。神にかけてイッズ=アッディーンがハッラーンを取れば、アレッポの人々はお前に対して蜂起し、お前は何が起こったのかわからないまま放り出されるぞ。ダマスカスの人々は私に同じようにするだろう」。そこで彼らはアル=アーディルと共に軍を送ることに同意し、彼は既にユーフラテスを渡っていた。彼らの軍はエデッサ地方マルジ・アル=ライハーンで合流した。神が望みたもうならば、我々はアル=アーディルがなしたことを記すだろう。

要約は機会があれば後ほど
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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