吐蕃あれこれ

吐蕃王国って実は強いんじゃね?ということに思い当たった今日この頃。
吐蕃というのは今のチベットにあった王国で、初代国王ソンツェン・ガンポの名前くらいは教科書にも載ってんじゃないかと思います。あと、ソンツェン・ガンポに嫁いだ唐の文成公主も一部の人たちの間では有名かもしらん。

吐蕃は中国語表記で正しくはトゥプト、王号をツェンポというそうな。(トゥプトのソンツェン・ガンポ・ツェンポ=吐蕃のソンツェン・ガンポ王)
ソンツェン・ガンポ王には有能なガル・トンツェンとトンミ・サンボータなる二人の大臣がいたようです。
ガル・トンツェンは唐に使節として出向いたほか、知事の任命を王に進言したそうですが……知事ということは世襲ではなかったのだろうか。律令的な国家体制であった可能性は、まあ唐のお隣ですから十分考えられますが。
トンミ・サンボータはインドに出かけてサンスクリット語やカシミール語の知識を活用して初のチベット文字を作り、仏教経典の翻訳を進めたとのこと。

吐蕃が存在していた期間には唐と概ね重なり、草原では突厥からウイグルの時代(そして吐谷渾も長く存続)、西アジアではササン朝が滅んでウマイヤ朝からアッバース朝に変わり、インドではヴァルダナ朝が最盛期を迎え、分裂していきます。
で、だ。実は吐蕃、この四勢力(中華、ステップルートの遊牧民、イスラーム帝国、インド)全てと干戈を交てます。まあ囲まれてるから当然っちゃ当然なんだけども。
唐の高仙芝と李嗣業がタラス河畔でアッバース朝のズィヤードにぶちあたったのも吐蕃の兵を叩いて西征してたらいつの間にか目の前にアッバース朝が出来てた、ってな風に見えなくもない。
吐蕃兵がサマルカンドを攻撃したという記録もあるようですが……さてソースはどこだ。

案外知られてないようですが、吐谷渾(モンゴル系の鮮卑慕容部の枝族)を滅ぼしたのは実質上吐蕃だったそうです(唐末の赫連鐸らは生き残り)。北朝から隋唐は鮮卑拓跋部の系統で、中国の史書では吐蕃王室も拓跋部の出身(※チベットの伝説ではインドの王族)ということになっているので、7世紀のユーラシア東方はプレモンゴル時代ながらモンゴル系の鮮卑が多くを支配してしかも壮大な身内喧嘩をしていることに……。

吐蕃が最盛期を迎えるのは8世紀のティソン・デツィンの時代。在位実に55年間という名君で、仏教を奨励したり、安史の乱に乗じて長安を占領したりしたそうな。(どこぞのカーヌーニーのようですが、実際吐蕃もこの後衰退します

主力兵科は騎兵だった模様。チベット系の羌と言えば精強な山岳騎兵で知られてますし。

ものの本を読んでると専ら中国史料の活用が目に付きますが、吐蕃がアフガニスタンと接していた以上、アラブ史料にもそれなりに残ってるんじゃないのかと思わないでもない。
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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