512年 記事番6 デュバイスとブルスキの戦

イスラム歴512[西暦1118-1119]年 完史英訳1巻P193-195
「王弟マスウードとジュヤーシュ・ベクのイラクへの来訪と、彼らの間、アル=ブルスキとデュバイスの間で何が起こったかに関する記事」

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以下訳文
 この歳のジュマーダ1月[1118年8月20日-9月18日]、アル=ブルスキは戦闘を開始し、アル=ラッカのそばに兵士達およびほかの追従者とともに野営した。彼はヒッラを攻撃し、デュバイス・イブン=サダカをを追い出すことを宣言した。デュバイスはアラブ人とクルド人の大部隊を召集し、大量の資金と武器を集めた。
 スルタン・ムハンマドの息子である王弟マスウードは、アタベクのアイ・アバ・ジュヤーシュ・ベクとともにモスルにいた。彼らの軍務に服している人の多くは彼らに、誰もそこを守れないから、イラクへ向けて進軍するべきだと進言した。そこで、彼らは軍勢を集め出発した。王弟マスウードについていたのは、彼の宰相であり、[原注:以前の]トリポリ領主であったファクル・アル=ムルク・アブー=アリー・イブン=アマールと、我々のモスル領主の前任であったイマード・アッディーン・ザンギー・イブン=アクソンコルであり、彼は最も勇敢であった。彼らとともにいたのは他に、サンジールの領主、イルビルの領主、アブール=ハイジャー、そしてバワーズィージの領主、カラバーウィー・イブン=ホラーサーン・アル=トルコマーニーであった。アル=ブルスキが彼らの接近に気がついたとき彼は彼らを恐れた。
 以前我々が記したように、スルタン・ムハンマドはアル=ブルスキを彼の息子のマスウードのアタベクにし、彼が唯一恐れているのはジュヤーシュ・ベクであった。彼らがバグダードの近くまで来た時、彼は彼らに向かい、進行を防ごうとした。これを知り、マスウードとジュヤーシュ・ベクはアミールのカラバーウィーを休戦のため彼に使わした。彼はアル=ブルスキに、彼らがデュバイスに対抗するため、彼に援軍を送りに来たのだと言い、そこで彼らは合意に達し、合流した。
 マスウードはバグダードに来て、スルタンの宮殿に泊まった。そのとき、すでに以前記したアミールのイマード・アッディーン・マンクーバルスが大軍隊とともに到着したとの報せが入った。アル=ブルスキは彼に会敵し、戦闘して彼を街から遠ざけるため、バグダードを発った。これを聞き、マンクーバルスはアル=ヌマーニーヤに行き、ティグリスを渡り、最終的にデュバイス・イブン=サダカと合流した。
 デュバイスは王弟マスウードとアル=ブルスキを恐れた。彼の戦略は、しばらく戦って和平を結ぶことにあった。彼はいま、マスウード、アル=ブルスキ、ジュヤーシュ・ベクにすばらしい贈り物をした。しかし、マンクーバルスの到着についての報せが彼に届いたとき、彼は連絡を取り、彼に味方するという誓約をとりつけた。彼らの両方は互いに連携し、相互に援助することに同意した。彼らは連合し、お互い片方は他方によって強化された。この後、王弟マスウード、アル=ブルスキ、そしてジュヤーシュ・ベクは彼らの追従者とともに、デュバイスとマンクーバルスに会うためアル=マダーインへ進軍した。彼らがそこについた時、彼らは二人が大軍を擁しているということを知った。アル=ブルスキとマスウードは後退し、サルサル運河を渡り、渡し場を作った。両方の陣営が田園と、王の運河、サルサル運河、そしてイーサー運河を無慈悲に荒し、女性は暴行をうけた。
 アル=ムスタルシド・ビッラーは王弟マスウードとアル=ブルスキに、これを遺憾と思い、殺戮と残虐行為を中止し、融和的になり、和平を結ぶよう命じた。使者はサディード=アッダウラ・イブン=アル=アンバーリーとニザーミーヤ学院の教授であるイマーム・アル=アサド・アル=メイハニーであった。アル=ブルスキはそれらの行為が彼らによってなされたことを否定し、バグダードに戻ることに同意した。知らせがマンクーバルスのもとへ届いたとき、デュバイスは彼の兄弟のマンスールと、マンクーバルスの義理の子のアミール・フサイン・イブン=ウズバクに3000の騎兵を整え、ダルズィージャーンへ向かわせ、そこが兵士達から見捨てられていたため、ディヤーラーとバグダードへの道が交差するところを封鎖するため、占領した。
 アル=ブルスキはバグダードへ戻り、事態を知らない人々を不安にさせないように橋を渡った。彼はササラに彼の息子のイッズ=アッディーン・マスウードをイマード=アッディーン・ザンギー・イブン=アクソンコルと軍隊とともに残した。彼はマンクーバルスが彼の渡河を阻止するため待ち受けているディヤーラーへ来た。二日間彼はそこにとどまり、そして彼は彼の息子のイッズ=アッディーン・マスウードから二勢力の間で和議が結ばれたことを告げる手紙を受け取った。彼のあずかり知らぬところでこれが行われたことに、彼の熱意は打ち砕かれ、彼はバグダードへ退くため西の運河を渡った。マンスールとフサインは渡河し、彼の後ろを兵士達とともについていった。彼らは夜中にバグダードに到着し、スルタンのモスクに泊まった。
 アル=ブルスキは王弟マスウードのもとへ行き、彼の装備と財産を集め、バグダードへ取って返した。そこで彼は古い端の上に野営した。王弟マスウードとジュヤーシュ・ベクは河をさかのぼり、病院のところで宿泊した。デュバイスとマンクーバルスも同じくアル=ラッカの近くに野営した。アル=ブルスキの息子のイッズ=アッディーン・マスウードはマンクーバルスのもとに滞在し、彼の父と分かれた。
 この和平の理由はジュヤーシュ・ベクがスルタン・マフムードに彼自身と王弟マスウードのために多くを求めたことによる。彼の使者の手紙はスルタンの野営から送り返され、それは彼がスルタンから寛大に扱われ、彼ら二人にアゼルバイジャンを任せると告げていた。彼らがバグダードを離れたとき、スルタンは彼ら二人が彼に反乱を起こそうとしているに違いないと信じ、そこで彼は彼の同意を撤回した。使者はまた、スルタンが軍隊を模するに派遣したことも告げていた。手紙がマンクーバルスの手に入り、彼はそれをジュヤーシュ・ベクに送り、スルタンと王弟マスウードおよび彼(ジュヤーシュ)の関係を修復してみせると請合った。マンクーバルスはサルジャハーンという名の王弟マスウードの母と結婚しており、これにより彼は有利になった。和平はこうして設定されたが、双方はアル=ブルスキがこれに抵抗することを恐れ、そこで彼らは軍隊をダルズィージャーンに送ることに同意し、そのためアル=ブルスキはこれらの財産を彼らに差出し、彼の兵士達は彼を置いて結果に同意した。彼が進軍していたときに起きたことは、すでに記した。
 彼らの間での良い統治により、アル=ブルスキはバグダードの民衆からしたわれていた。和平が結ばれ、アミールたちがバグダードへ来たとき、彼の部下と徴税人はアル=ブルスキを見捨て、スルタンの命令によらずイラクをおさめるという彼の野心は無に帰した。デュバイス・イブン=サダカはバグダードのスルタンのモスクに合併されていしまっていた彼の父のファイルーズ・レーンにある邸宅に関して要求した後、許可をとってアル=ヒッラへ帰った。彼は(屋敷の)補償額を受け取った。
 マンクーバルスはバグダードに滞在し、残虐に振る舞い、人々をあしざまに扱い、金を巻き上げた。裕福な人々は彼を恐れて隠れ、何人かはカリフ宮殿のハレムに隠れた。人々の暮らしは荒れ、彼の部下はどんな悪事も働いた。確かに、まちがいなく既婚のバグダード住人のある女性が、結婚式で彼を案内し、マンクーバルスの部下の一人が、これを聞き、彼の元へきて、ドアをぶちやぶり、心労を何度も殴った後、彼の妻に乱暴を働いた。人々は一日中大声で助けを求め、市場を閉めた。問題の兵士はカリフ宮殿に捕らえられ、彼はそこで何日かとらわれていたが、後に開放された。
 スルタンはマンクーバルスがバグダードで何をしているかを聞き、彼を召還したが、彼は断り、あいまいな態度をとった。さらにスルタンが彼に詰問したが、さらに彼は金を集めることと、強奪にあけくれた。しかし、バグダードの人々がスルタンが彼に対して向かってくることを実現し、彼らは大胆になった。ここにいたって、マンクーバルスは彼らが彼に対して蜂起することを恐れて立ち去ったため、人々は彼の酷い行為から逃れられ、隠れていた人々は再び姿を現した。

要約

1118年9月頃、バグダードのアクソンコル・アル=ブルスキがヒッラのデュバイスを追い出すことを宣言し、デュバイスもこれに備えた。
マスウードの後見人であるジュヤーシュは機会と見てイラクへ進軍した(ジュヤーシュは、ブルスキが恐れる唯一の人物だった)。
ジュヤーシュらがバグダードの近くまで来たとき、マスウードはこれを防ごうと出撃したが、ジュヤーシュらは援軍に来たのだと説明、合意に至り、合流する。
バグダード知事に任命されていたはずであったが、派遣した義理の息子がブルスキに敗れたマンクーバルスが大軍を率いてバグダードへ上ってきた。
これを聞いたブルスキは出撃し、マンクーバルスはそれを避け、デュバイスと合流する。
デュバイスはブルスキとジュヤーシュらを恐れ、(和平を結ぼうとして?)贈り物を贈ったが、マンクーバルスが到着したと聞いて同盟を結んだ。
この後、ジュヤーシュらとブルスキはデュバイスとマンクーバルスをたたくため、マダーインへ進軍した。
敵が強大であることを知り、ジュヤーシュらとブルスキはいったん陣を引いた。
ジュヤーシュの陣営とデュバイスの陣営は双方とも略奪を働いた。
カリフのムスタルシドはジュヤーシュらとブルスキに略奪をやめるよう説得した。
ブルスキはこの事態が自分によって引き起こされたことを否定し、バグダードへ戻ろうとしたが、デュバイスとマンクーバルスの軍勢により待ち伏せされた。
二日間マンクーバルスの軍のところにとどまり(=対峙し?)、その後、ブルスキは二つの勢力の間で和議が結ばれたことを知った(和議は、ジュヤーシュの懸案であったスルタンとの関係を、マンクーバルスが回復すると請け負ったことによる)。
ブルスキはバグダードへ撤退したが、彼の部下達は彼を見捨てた。
デュバイスは、彼の父の屋敷の代金を受け取ってヒッラへ帰った。
マンクーバルスはしばらくバグダードに居座り、金を巻き上げ街を荒らしていたが、民衆が蜂起するのを恐れて立ち去った。
プロフィール

鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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