三別抄について

 朝鮮史は専門外かつ興味もそんなに無いんですが、高麗の三別抄は対モンゴルで活躍した部隊ということで少し気になっています。

 当時、高麗王家は実力がほとんどなく、実権は武臣政権に握られていました。言うなれば朝廷の実権が鎌倉幕府に移っちゃってたようなもんですね。その軍事的な基盤だったのが三別抄。以前も書きましたが、特「別」に「抄」、つまり選抜された部隊、ということです。右別抄左別抄の夜別抄と、モンゴルに捕虜となりながら脱出に成功した者による神義軍の三部隊に分かれていたそうな。

 緊急の国都として当時機能していた江華島の防衛と、各地への転戦、まあやっぱり数が限られてて無理があったというのが実情のようです。
 武臣政権内のクーデターによって、元との関係を好転させたものの、新しく武臣政権のトップに立った男が国王を廃して別の王族を立てます。元が認めた国王が廃されたわけですから当然元は怒り、問責使を送ります。結果的に武臣政権は崩壊し、高麗の実権は高麗王家の手にもどることになり(もちろん後ろにはモンゴルがいますが)、三別抄には解散命令。
 しかし三別抄はこれを承服せず、一斉に蜂起して珍島へ移り、王族の一人を擁立して亡命政権を発足させ、一時は南部の沿岸地域を勢力下に置くものの、元と高麗政府が組織的な鎮圧に移るとだんだんとおいつめられていきます。当時、鎌倉幕府に援助を要請した書状が実在したようで「高麗牒状不振条々」から内容がうかがわれるとのこと。
 日本からの反応はなく、珍島も攻略され、残存勢力が逃れた済州島(耽羅島)も二年後に同じく攻略。
 こうして、三別抄の抵抗は収束したのでした。

 なんか生き残りが琉球に逃れてきてたという話もあるようです。さて、実際はどうだったのか。

 指導者の金通精は今でも朝鮮半島では英雄としてたたえられているそうです。具体的なエピソードはあんまり見ないので、これも気になっているところ……。

 朝鮮史はやはり書くのに気を使うようで、本を読んでいても出来る限り正確を期して、出展も明記して、誤解を招く表現は避ける、という態度が見えてきます。イスラーム史も色々と気を使いますが、それとは別の方向のようで。朝鮮史ってのは難しいなあと思った今日この頃でした。
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鉄勒京二

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