513年 記事番1 トゥグリルの叛乱

イスラム歴513[西暦1119-1120]年 完史英訳1巻P199-200
「王弟トゥグリルの、彼の兄弟スルタン・マフムードに対する叛乱」

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以下訳文
 彼の父が死んだとき、ムハンマドの息子で、503年のムハッラム月[1109年8月]に生まれた王弟トゥグリルは、サルジャハーンの要塞にいた。504年[1110-11年]、彼の父は彼をサーヴェー、アーヴェーそしてザンジャーンに任命し、彼のアタベクとして、イスマイール派の城塞の包囲に関して既に記した強力なアミールのシールキールを任命した。トゥグリルの領地はシールキールが征服した城塞により増えていった。スルタン・マフムードは彼の状況を管理し、彼をスルタンのもとに連れて行くため、アミール・クントゥグディーを彼のアタベクとすべく送った。彼の到着後、トゥグリルは彼(クントゥグディー)が彼の兄弟(マフムード)に服従せず、また、彼(マフムード)のもとへ戻らないよう説得した。彼らはこの点に関して合意に達した。
 スルタン・マフムードは、この知らせを聞き、シャラフ=アッディーン・アヌーシルワーン・イブン=ハリードを名誉の衣とともに送り、3000ディナールを贈った。もし彼が彼に会いに来るのなら、彼は彼の兄弟に彼が保持している領地に加え、さらに広大な領地を(与えると)約束した。面会の同意は得られなかった。クントゥグディーは答えて曰く「我々はスルタンに忠誠を誓っている。我々は彼が選んだどの方向へも向かおうし、我々は誰であれ彼が攻撃されるべきだと判断した相手にむかっていくべき兵士たちを抱えている」。
 この会話が行われているジュマーダ1月[1119年7月8日-8月10日]の間、スルタン・マフムードは目的地を隠したままハマダーン門を出て、軽装備の10000の騎兵とともに出発していた。彼の計画は彼の兄弟とクントゥグディーを驚かせることにあった。彼の従者の一人が、王弟トゥグリルの部下のトルコ人に会った。彼は彼を逮捕したスルタンに報告した。しかし、その男と一緒にいた同僚が、状況を把握し一晩で20リーグを駆けた。彼は酔っ払っていたクントゥグディーを発見した。いくつかのいざこざの後、彼は彼のところへ歩いていき、状況を説明した。アミールは王弟トゥグリルを見つけ出し、その状況を知らせ、変装させてサミーラーンの砦へ逃がした。彼らは道に迷い、サルジャハーンの砦にたどりついた。そこは彼らがつい先ごろ発ち、軍勢を集めた場所だった。彼らが道に迷ったことは、結果的に彼らを安全なところへ連れて行くことになり、スルタン・マフムードはサミラーン経由で進軍し、そこは彼らの必需品と財宝が納められていると[自身に]言い、彼らが彼らの接近を知ったとき、彼らはそこに襲い掛かり、ひょっとしたら彼(トゥグリル)らは道の途中で彼ら(マフムードの軍)にあっていたかもしれない。こうして、彼らは彼が彼らに対し損害を与えようとしていたにも関わらず彼から逃げた。
 しかし、スルタンは彼の軍についていき、奇襲し圧勝した。彼は彼の強大の宝物庫から30万ディナールを没収した。それは彼が彼に贈ったものだった。スルタン・マフムードはザンジャーンに留まり、レイに向かった。トゥグリルはサルジャハーンに残り、彼とクントゥグディーはガンジャに向かった。彼の部下達はそこで彼を見つけ、彼の不快な気持ちは大きくなった。彼とマフムードとの仲たがいはますます深くなった。
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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