アクソンコル・アル=ブルスキについて

 大半の人は「誰だそれ?」って言うと思うんですが12世紀前半のセルジューク朝の武将です。
 ラカブ(尊称)はカーシム=アッダウラ(王朝の慈悲……の、はず)。
 アミン・マアルーフの「アラブが見た十字軍」にも名前が出てきてます(文庫版だと185p,196p)。一応褒めてはあるものの、アレッポ城主に任命されて、暗殺教団に殺されたよっていうわりとかわいそうな役回り……。
 ですが、当時のセルジューク朝の内部事情においてはキーパーソンの一人であると管理人は考えてます。
 イブン・アル=アシールの「完史」は、死亡記事に簡単な人物評が載ってることが多いんですが、そこからちょっとマアルーフ風に引用してみましょう。
 
 彼は(とイブン・アル=アシールは書く)、トルコ人のマムルークで慈悲深く宗教者を尊敬し高潔だった。彼は正義のなんたるかを知り、それを行った。彼はもっともよき統治者の一人であり、正確な時刻に祈りをささげるため、その時間まで寝なかった。

 以下、イブン・アル=アシールの親父が、アクソンコルの家事奴隷から聞いた話が続きます。

 彼は(と家事奴隷だった男が語る)、毎夜の礼拝を何度も行い、自ら儀式のために身を清め、誰の助けも用いなかった。私はある冬の夜にモスルで彼を見たが、その時彼は寝床から起きあがり、短い羊毛のガウンを羽織っていた。彼は手に水差しを持ち、水をくむためティグリスへ歩いていった。寒さが私を起きあがらせるのを妨げたが、私は彼をおそれて、起きあがり彼のもとへ行き、水差しを彼から預かろうとした。彼は私を止めてこう言った「かわいそうに! 寝床にもどりなさい。寒いだろう」。私は真剣に水差しを彼から預かろうとしたが、彼は私にそれを預けることを断り、私を寝床に送り返した。そして彼は身を清め、祈りを行った。

 敬虔で部下への気配りも忘れない人だったようで。しかしこれは彼の個人的な性格の話。

 実はこの人、ザンギーの上司です。まあ、もともとザンギーはモスル付きの武将だったようなので、彼が赴任してきたときに部下になるのは当然っちゃ当然なんですが(ちなみにそれ以前の実質上のモスル領主は王弟マスウードのアタベクだったジュヤーシュ・ベク)。
 それ以前にはバグダード知事を務め、暴将マンクーバルスが無理矢理スルタンから許可を取って赴任しようとした時もこれを撃退、カリフ・ムスタルシドとアミール・デュバイスの仲が険悪になった時はムスタルシド側に立っています。

 そも、マフムード2世が彼をモスル領主に任命しようとしたのは、彼の忠義に報いるためだったようで。この当時、アミールたちは割と好き勝手に動いてスルタンの命に従わないこともままあるので、彼はスルタンにとってとても心強い存在だったようです。
プロフィール

鉄勒京二

Author:鉄勒京二
当ブログは一介の歴史好きが読んだ本を紹介したり、書いた文章を公開したりするための場です。執筆記事は西アジア史関係が多いですが、読書は西アジアにこだわらず地域・時代を広く浅く扱っています。
当ブログの内容を雑誌・書籍等にご利用されたい場合はご一報下さい。
管理人への連絡は掲示板か拍手でどうぞ。

検索フォーム
カテゴリ
リンク
アクセスカウンター
月別アーカイブ