サラディン伝 サラディンの誕生

サラディン伝英訳P17
「彼の誕生―彼の上に神の慈悲を―」

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以下訳文
 我々が信頼できる、それを辿り最終的には占星術の口述者によって彼の運命にたどり着く、伝手から聞いた情報によれば、彼は、532[原注:1137-8]年にティクリートの城で生まれた。彼の父、アイユーブ・イブン=シャージー―神は彼に慈悲を垂れ給え―は、その地の統治者であり、名士であり、気前のよい男であり、物腰が柔らかですぐれた性格の持ち主だった。彼はドヴィーン[原注:ティグリスに近く、その時代にはクルドのシャッダード朝に支配されていた]で生まれた。後に、彼は子と共にティクリートからモスルへ移り、成長するまでそこに居住した。アタベク・ザンギーの軍の中で、彼の父は尊敬されるべき指揮官であり、彼の父の兄弟アサドゥッディーン・シールクーフもまたそうだった。
 彼の父はシリア―我が神よこの地を守り給え―へ移る機会を得て、バールベクを与えられ、しばらくの間そこに留まった。彼の息子はバールベクへ移り、父の元で暮らし、彼の庇護のもと教育を受け、幸運の音が聞こえるようになり、指導力と統治権が彼の元に現れるまで彼の人徳と礼儀を吸収して育った。アル=マリク・アル=アーディル・ヌールッディーン・マフムード・イブン=ザンギー―神は彼に慈悲を垂れ給え―は彼を引き上げ、信頼し、世話を焼き、好意ある腹心とした。この状況は続き、彼は何かにつけ昇進させられ、彼はさらに彼を高い地位につけるための演出を行った。そして、彼の叔父、アサドゥッディーンがエジプト攻撃の遠征を行う時がやってきた。我々は、明快にして詳しい記事をふさわしい場所で記すだろう――神が望み給うならば。
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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