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499年 記事番1 マンクーバルスの叛乱

イスラム歴499[西暦1105-1106]年 完史英訳1巻P96
「スルタン・ムハンマドに対する、マンクーバルスの叛乱」

括弧内は管理人の注
管理人は翻訳・要約に責任を持たない

以下訳文
 この年のムハッラム月[1105年9月13日-8月13日]に、王族ブーリバルス・イブン=アルプアルスラーンの息子で、スルタン・ムハンマドの従兄弟だったマンクーバルスが、あからさまに、叛乱を起こし、彼のスルタンへの敵愾心をあからさまにした。これは、彼がイスファハーンに住んでおり、厳しい苦難が彼を襲ったからだった。彼の補給は絶たれ、そこで彼はそこを離れニハーヴァンドへ向かった。軍の一部隊がそこで彼に加わり、何人かのアミールが彼の計画を支援した。彼はニハーヴァンドの支配権を握り、彼の名前でフトバを行った。彼はまた、ブルスクの息子であるアミールたちに彼らに加わり、支援と援助を与えるよう書き送った。
 スルタン・ムハンマドはブルスクの息子のザンギー(イマードゥッディーンとは別人)を捕らえ、彼は兄弟達に書き送り、マンクーバルスに援助を与えないよう、また、それにともなう害と危険について警告した。彼は彼らに彼を逮捕できるよう計画することを命じた。彼らの兄弟の手紙がこの伝言とともに彼らのところに届いた時、彼らはマンクーバルスに援助と協力を申し出た。彼と彼らは合流するため、彼らの領地の近くで、言われていることによれば、ホラーサンまで移動し、彼らは彼を逮捕した。彼の兵士達は四散し、彼は、スルタンが彼の叔父のテキシュの息子たちと一緒に投獄されていたイスファハーンを奪取された。ザンギー・イブン=ブルスクは解放され、再びもとの地位についたが、スルタンは彼とその兄弟をアフワーズからハマダーンに至るリーシュタル、サーブール・クワーストその他いかなる彼の領地からも追い払い、彼らをディーナワルその他の場所に配置換えした。
 この年にさらに起こったこととしては、ニハーヴァンドで、預言者であると称する田舎から出てきた一人の男が現れた。田舎の人々は彼に服従し、彼について行った。彼らは彼らの財産を売り払い、受け取った代金を彼に資金として与え、彼ら全ては支出を行った。彼は支持者によってアブー=バクル、ウマル、ウスマーン、あるいはアリー[原注:正統カリフの名]と呼ばれた。彼は結局ニハーヴァンドで殺され、住民が言うことには、「二ヶ月の間、二人の男が我々の間に現れ、一方は預言者であると主張し、もう片方は君主であると言っていた。どっちも成功はしなかったよ」
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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