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529年 記事番5 ムスタルシドの殺害

イスラム歴529[西暦1134-1135]年 完史英訳1巻P318-319
「アル=ムスタルシドの殺害とアル=ラーシドによるカリフ位の継承」

括弧内は管理人の注
管理人は翻訳・要約に責任を持たない

以下訳文
 アル=ムスタルシド・ビッラー・アブー=マンスール・アル=ファドル・イブン=アル=ムスタズヒル・ビッラー・アブール=アッバース・アフマドが、我々が既に記したように捕まった時、スルタン・マスウードは彼を、彼のために地下を保持し彼が必要とする全てのものを提供できるようにしたテントの中に入れておいた。彼らは合意に達するべく、つまりカリフはなにがしかの金品を支払い、二度と軍を招集せず、彼の宮殿を動かないということについて、協議のため言葉を取り交わした。スルタンはこれを受け入れ、カリフのため轡をとり、鞍に座らせ、彼の後ろから支え、残っているのはカリフのバグダードへの帰還だけとなった。アミール・キラーン・クワーンがサンジャルからの使者として到着し、カリフの出発は延期された。皆がスルタン・マスウードと共に使者に会うため外に出た。彼らのうち何人かは彼のテントと、カリフの見張りを任せられた。彼のテントは軍の大部分から孤立した。24人のバーティン派(ニザリ派、暗殺教団のこと)の男達が彼のところへ向かい、彼のテントに入り、彼を殺してしまった。彼らは20以上の傷を彼に負わせ、耳と鼻を削ぎ、彼を丸裸にした。アブー=アブドゥッラー・イブン=スカイナのように彼の近くにいた男たちは彼と一緒に殺された。彼の暗殺は、マラーガの門において、ダフールカーダ月の17日火曜日[1135年8月29日]に行われたことであった。彼は街の住民によって埋葬され、バティーニのうち、10人は殺され、他の記事によれば、全てが殺された。神は全てを知り給う!
 彼は殺された時43歳3ヶ月で、彼のカリフ位は7年と6ヶ月20日であった。彼の母は奴隷だった。彼は強くまた勇敢であり非常に大胆で、遠大な夢を持っていた。彼の統治の間に起こった出来事はこのことによって証明される。彼はアラビア語にきわめて達者であり、雄弁であり、また、すばらしい筆跡で書いた。私は素晴らしい出来の彼の筆跡を見たことがあり、また私は、とても素晴らしく書かれ最高の表現をなされた、嘆願書に対する彼の返信も見た。
 アル=ムスタルシドの死後、彼の息子のアブー=ジャアファル・アル=マンスールは即位名を与えられ、アル=ラーシド・ビッラー[原注:神によって正しく導かれた者]であると宣言された。アル=ムスタルシドは彼の生前から相続者として宣言していた。彼の暗殺の後、彼への忠誠の近いはダフールカーダ月の27日[月曜日、1135年9月9日]に行われた。スルタン・マスウードはバグダード代官のベグ・アバに書き送り、彼も忠誠を誓った。カリフ家の21人のような重要な人々の全ては忠誠を誓うため(彼のところへ)来た。シャイフのアブール=ナジーブは儀式を行い説教を与え、それは幸せに関する話だった。ジャマール=アッダウラ・イクバールは、彼はバグダードに軍の分隊とともに残っていたのだが、これらの出来事が起こった時に西岸にわたってきて、そしてティクリートへ向かっていった。彼はムジャーヒド=アッディーン・バフルーズに連絡を取り、彼の宣誓を得て彼を城に加わらせた。
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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