サラディン伝 第一回エジプト遠征

サラディン伝英訳P41-42
「彼の叔父、アサド=アッディーンの同行人としての第一回エジプト遠征に関する記事」

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以下訳文
 この理由は、ディルガームと呼ばれる男が、彼の椅子と地位を望んでエジプト人の宰相シャーワルに叛乱を起こしたことに起因する。ディルガームは大軍を集め、それにシャーワルは対抗できず、破れてカイロから逃亡した。ディルガームは彼(シャーワル)の息子を殺し、カイロを奪い宰相の座についた。
 誰であれ、その座にいる者を倒しその座にいる者が彼に反抗できず、そして人々が彼の無能を知っていたならば、これはエジプト人の習慣なのであるが、勝利者を彼の地位と彼に支配権を与えることによって認め、彼らの力は宰相の力となり、彼は慣習的に「スルタン」と呼ばれるようになる(=宰相を倒せば宰相となれる)。彼らは極端に近くにおらず信頼することをせず、彼らの援助とたくらみは、この確立されたパターンによって、彼らのルールで行われる。
 シャーワルが負けてカイロから逃亡した時、彼はヌール=アッディーン・イブン=ザンギーの援助と彼の兵士の助けを得て彼の敵に対抗しようと計画し、シリアに向かった。ヌール=アッディーンはアサド=アッディーン・シールクーフに、エジプトに向かい、彼の責務を遂行し、嘆願者のところを訪れ、現状を見極めその地の事情を調べてくるよう命じた。これは558[原注:1163]年のことであった。アサド=アッディーン・シールクーフは準備を行い、サラディンがいやがったにも関わらず彼を連れて、というのもアサド=アッディーンは彼を信頼していたからなのだが、エジプトへ出発した。彼(シールクーフ)は彼(サラディン)を彼の軍の司令官と、彼の相談相手として任命した。彼らは558年ジュマーダ2月の2日[原注:1163年5月8日]、シャーワルとともにエジプトへ向かった。
 彼らのエジプトへの到着は人々に大きな恐れを与えた。シャーワルは彼のライバルに勝ち、アサド=アッディーンは彼を彼の官職と地位に戻し、しっかりと彼の地位と権力を定着させた。彼はまた田舎の方現状を直接見た。この土地には(力のある)人がいないことを、このシステム(宰相を倒せばその者が次の宰相になること)は多くの間違った信念とひどく不合理な方法によって引き継がれていることを知り、彼は彼の心に、この土地を取ろうとする野望を植え付けた。
 彼は前述の年のダフール=ヒージャ月の7日[原注:1163年11月6日]にエジプトからシリアへ撤退しはじめた。彼は、幸運な未来の徴と知恵の音を彼の中にはっきり見ていたため、サラディンの助言と意見なしには何事も決断したり決定したりすることはなかった。彼が行った全てのことは成功によって飾られている。アサド=アッディーンは、シリアにいる間、彼の計画の用意をし、いかにエジプトに戻るかを考え、これを夢見てアル=アーディル・ヌール=アッディーンとともに562[原注:1166-7]年まで準備を進めていた。
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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