575年 記事番2 ルームとアイユーブ朝の戦

イスラム歴575[西暦1179-1180]年 完史英訳2巻P266-267
「サラディン軍とクルチ・アルスラーン軍の戦いに関する記事」

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以下訳文と要約
 この年、彼(サラディン)の甥のタキ=アッディーン・ウマル・イブン=シャーヒンシャー・イブン=アイユーブに率いられたサラディンの部隊と、コンヤとアクサライのあるじである王族クルチ・アルスラーン・イブン=マスウード・イブン=クルチ・アルスラーンの部隊との間で、戦闘があった。
 これはヌール=アッディーン・ムハンマド・イブン=ザンギー・イブン=アクソンコル―神よ彼に慈悲を―が、以前、ラバーンの砦をクルチ・アルスラーンから奪い、それがこの時までシャムス=アッディーン・イブン=アル=ムカッダムの手中にあったことによる。クルチ・アルスラーンは今、それにたいして企みを抱いていており、というのも、アル=マリク・アル=サーリフがアレッポにおり彼とサラディンの間にいたからである。彼はそこを包囲するために兵を送り、そこに2万とも言われる大軍を集めた。サラディンはタキ=アッディーンを彼に対抗して1000の騎兵とともに送り込んだ。彼は彼らを率い、戦に入り、彼らを破りその領地の状況をサラディンが戻ってくるまでに回復した。このため、[バイト・]アル=アフザーン[での]破壊の時には彼のところにいなかった。彼はしばしば「1000人の戦士たちと共に、私は2万の敵を破った」と言って自慢していた。[原注:さらに妥当な数字(3000と800)がイブン=アビー=タイイによって示されている]
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鉄勒京二

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