サラディン伝 第二回エジプト遠征

サラディン伝英訳P42-43
「彼のエジプトへの再訪とその理由に関する記事。バーバインの戦を記す」

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以下訳文
 アサド=アッディーンは、シャーワルの消息がわかるまでこのことについて人々にずっと語っており、シャーワルはテュルク人の侵入に覚えていた。彼は、アサド=アッディーンにその国を盗る野心があり、必然的にそこを攻撃するだろうことに気づいていた。彼はそこでフランクに書き送り、彼らをエジプトに呼び寄せ、彼が全権を握り、彼を支援し彼の敵を一掃し、彼の足を最終的にそこに定着させることに合意した。これがアサド=アッディーンとヌール=アッディーンの耳に入り、彼らはエジプトが異教徒に盗られ、彼らがその地を支配することを大いに恐れた。アサド=アッディーンはそこで彼の準備を始めた。アル=アーディル・ヌール=アッディーンは彼と共に部隊を送り、彼(サラディン)が非常にそのことを望まなかったにもかかわらず、スルタン(=サラディン)―神よ彼に慈悲を―を彼(シールクーフ)に同行させた。
 彼らは562年のラビー1月[原注:1166年12月-1167年1月]の間に出発し、フランクたちと同時にエジプトに着いた。シャーワルはフランクと連携して動き、全てのエジプト人達はアサド=アッディーンに敵対した。多くの小競り合いと激しい戦闘が行われ、フランクたちは、アサド=アッディーンと同じくしてエジプトから引いていった。フランクが撤退した理由は、ヌール=アッディーンが彼の軍を彼らの土地に送り彼がムナイティラを獲ったことによる。これを聞いて、フランク達は彼らの領地を心配し引いていった。アサド=アッディーンが何故撤退したのかと言えば、彼の軍が、フランクたちとエジプト人の同盟に対して弱体であったためと、苦難と恐ろしい出来事に耐えていたためである。しかし、彼は、フランクがエジプトから完全に撤退するという約束を、フランクたちと取り付けるまでは撤退しなかった。
 彼はこの年の残りの期間にシリアに帰り、彼は今やその状況を彼自身偵察し、彼らがやったのと同じように彼らがそれを知っているため、フランクがそこを盗ってしまう恐れから、あの国を勝ち取ろうとする意志をより強くした。彼(サラディン)はシリアにいる間、彼が知らぬ間に他人によって行方を決定され、運命が彼をその場所に引き上げるまで、しぶしぶといった体であり、非常に不安に思っていた。
 562年のラジャブ月[原注:1167年4-5月]、ヌール=アッディーンはムナイティラの城を、アサド=アッディーンが出発した後に獲り、ダマスカス北部地方のアカーフの城を破壊した。
 この年のラマダン月[原注:1167年6-7月]ヌール=アッディーンと彼の兄弟のクトゥブ=アッディーンとザイヌ=アッディーンはハマーで強襲遠征のための軍を招集した。彼らはフランクの領地に入り、シャッワール月[原注:1167年7-8月]、フーニーンを破壊した。
 この年のダフール・カーダ月[原注:1167年8-9月]、アサド=アッディーンはエジプトから帰還し、ディヤルバクルのカラ・アルスラーンは死去した。
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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