サラディン伝 シールクーフの死

サラディン伝英訳P45
「アサド=アッディーンの死と権威のスルタンへの引き継ぎに関する記事」

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以下訳文
 アサド=アッディーンは大食らいであり、過度に大量の肉を食べていた。564年ジュマーダ2月[原注:1169年5月22日]、彼は、彼は異常な不快感を示し、そこから回復した後、消化不良と扁桃腺炎の多くの発作に襲われた。彼は激しい病に襲われ、深刻な扁桃腺炎に苦しみ、それが彼の死に繋がった。その後、荒れ野権力はスルタンに引き継がれた。彼の力は強固になり、業務は素晴らしい命令により成功裏に処理されていった。彼は資金を分け与え、資産を分配した。現世の問題が彼にもたらされ、彼はそれを処理し、神に彼の加護を感謝した。彼は酒を飲むことを放棄し、無駄な時間を捨て去り、まじめな服装にし、ずっと信心深くなった。彼は決してそこから逃げるとはなかったが、神が慈悲により彼を召すまで、ずっと真剣であり続けた。
 私は以下のような彼の言葉を聞いたことがある「神によって私はエジプトを得ることができ、彼(神)は私にその考えを植え付けたため、私は彼が、沿岸部を征服するよう予定しているのだと理解した」。その時から、彼の地位は上の方に任命されるようになり、彼はカラクとシャウバックと彼らの領地に対し、フランクの領土を襲撃することを辞めることはなく、彼はまた、他の時代には記録されたこともないような利益と恩恵を人々の上に降らせた。これら全ては彼が宰相の仕事として宮廷の中で行ったものだが、スンナ主義とその地の人々に信仰を学ばせ、法律、スーフィーの習慣など正しい宗教に帰依させることだけは強要しなかった。人々はあらゆるところから彼のところに集まり、彼を捜し出し、その間彼は請願者に対し決して失望しなかったし、誓願を無視したりもしなかった。[原注:これが起きたのは]565年[原注:1169-70年]までであった。しかし、ヌール=アッディーンがスルタンがエジプトで力を得ていると聞いた時、彼はヒムスをアサド=アッディーンの副官から獲った。これは564年ラジャブ月[原注:1169年4月]のことであった。
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鉄勒京二

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