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514年 記事番3 グルジア王国による強襲

イスラム歴514[西暦1120-1121]年 完史英訳1巻P213-214 
「グルジア人のイスラームの地への襲撃と、ティグリスの征服」

括弧内は管理人の注
管理人は翻訳・要約に責任を持たない

以下訳文
 この年の間に、グルジア人達、あるいはジュルズがイスラムの地を侵略した。彼らは過去にもしばしば襲撃してきたが、彼らはスルタン・マリクシャーの治世から、スルタン・ムハンマドの治世の終わりまでそれを止めていた。しかし、今年に入った時、彼らはキプチャク人や他の周辺の人々と連れだって襲撃を始めた。グルジアの地に近いアミールたちは、合意を交わした後、共に集まった。すなわち、アミール・イルガーズィー、およびその時彼と一緒にいたデュバイス・イブン=サダカ、王弟トゥグリル・イブン=ムハンマドと彼のアタベク、クントゥグディーである。トゥグリルはアラーンとナヒチェヴァンからアラクセスまでを領有していた。彼らは共に集まり、グルジア人に対抗するため進軍した。彼らがティグリスについた―そしてムスリムの軍は大きくなり3万に達していた―とき、彼らは互いに会敵し、部隊を整列させた。200のキプチャク人が先陣を切った。ムスリムたちは彼らは適当なところで手を打つだろうと考え、彼らに対して警戒していなかった。彼らはムスリム軍と混戦状態になり、彼らの短い矢でムスリム軍の隊列に混乱を起こさしめた。距離があったいくつかの部隊は戦は負けであると判断して散っていった。我々の部隊は、他人をふみつけるような圧力のため、互いにひとつの道へなだれこんでいった。彼らのうち、非常に多くが殺された。
 不信心者たちは10リーグにかけてかれらを追跡し、殺し、捕虜を取った。ほとんどが殺されたが4000人は捕虜となった。王弟トゥグリル、イルガーズィーとデュバイスは逃亡した。グルジア人たちは帰還し、イスラムの地を略奪し、ティグリスは包囲された。彼らは強力な守備隊として従事した。状況は深刻であり、住民達は危機に陥った。グルジア人達が攻撃によってその街を獲る515年[原注:1121-22年]まで包囲は続いた。
 彼らが危機に次々とさいなまれているとき、住民達は地方のカーディーとグルジア人の司教に書き送り、諦めてくれるよう頼んだ。グルジア人達は聞く耳を持たず、彼らを厳しく扱った。彼らは街に押し入り、彼らは強奪と略奪を始めた。516年[原注:1122-23年]に避難民たちがバグダードに到着し、泣いて助けを求め、支援者を探した。彼らはスルタン・マフムードがハマダーンにいると聞き、彼のところへ向かい、彼に援助を嘆願した。彼はアゼルバイジャンに向かい、そこで彼はラマダン月[原注:1122年12月]の間タブリーズの街に滞在した。彼はグルジア人に対して一軍を差し向けたが、そのことについては神が望み給うならば後に記すだろう。
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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