513年 記事番4 フランクとの戦

イスラム歴513[西暦1119-1120]年 完史英訳1巻P205
「フランクとの他の戦いに関する記事」

括弧内は管理人の注
管理人は翻訳・要約に責任を持たない

以下訳文
 この年、テルバーシルのあるじであるジョスリンがティベリアスからおよそ200騎のフランクの一隊と、ともにティベリアスから出発し、バヌー・ハーリドとして知られるタイイの集団を驚かせた。彼は彼らを捉え縄張りを奪い彼らに残りのバヌー・ラビーアの人々のことについてたずねた。彼らは彼に、彼らはダマスカスとティベリアスの間のワーディー・アル=サラーラの礫砂漠に出かけていると言った。ジョスランは150騎を行かせ、自らとともに50騎を別の道で行かせた。彼は他の者たちに、バヌー・ラビーアを待ち伏せして落ち合う計画を与えた。この知らせが彼らに届き、しかし、彼らは野営を壊したがバヌー・ラビーアのアミール彼らに対抗した。彼らは150の騎兵であり精強だった。150騎のフランクの騎士たちが彼らのところへ駆けつけ、ジョスランは彼らの前に既に到着しているか、すぐに追いつくだろうと信じていたが、彼(ジョスラン)は道に迷っていた。そのため、数は互角になった。戦闘は始まっていた。ボードワンはフランクの騎兵を散会させ、彼らに徒歩で戦うようにさせた。フランクのうち、70人が殺され、彼らの指揮官のうち12人が捕虜となり、それぞれは相当な額の身代金を申し出て、捕虜の多くは自分を身代金で買い戻した。
 ジョスランについて言えば、彼は見に迷い、戦闘があったことを危機、トリポリへ行って、そこで軍を集めアスカロンへ進軍した。彼は周辺の地方を襲ったが、ムスリムたちは彼を追い払い、彼はほうほうの体で撤退していった。
プロフィール

鉄勒京二

Author:鉄勒京二
当ブログは一介の歴史好きが読んだ本を紹介したり、書いた文章を公開したりするための場です。執筆記事は西アジア史関係が多いですが、読書は西アジアにこだわらず地域・時代を広く浅く扱っています。
当ブログの内容を雑誌・書籍等にご利用されたい場合はご一報下さい。
管理人への連絡は掲示板か拍手でどうぞ。

検索フォーム
カテゴリ
リンク
アクセスカウンター
月別アーカイブ