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508年 記事番1 ブルスキのシリア遠征

イスラム歴508[西暦1114-1115]年 完史英訳1巻P166
「アクソンコル・アル=ブルスキのフランクと戦うためのシリア遠征に関する記事」

括弧内は管理人の注
管理人は翻訳・要約に責任を持たない

以下訳文
 この年、スルタン・ムハンマドは、マウドゥードが信だことを聞いた後、アミール・アクソンコル・アル=ブルスキをモスルとその地方の統治者として送り込み、彼の息子の王族マスウードを彼と共に大軍の長として送り、フランクたちと戦うよう命じた。全てのアミールは、彼に従うよう前もっていいつけられていた。彼はモスルへ来て、その地の兵士達は彼に加わり、彼らの中にイマード=アッディーン・ザンギー・イブン=アクソンコルもおり、彼と彼の子孫は後にモスルの統治者となる。彼は極端に勇敢だった。シンジャール、タミーラク、および他の地域の領主たちも集合した。
 アル=ブルスキはジャジーラト・イブン=ウマルに進軍した。マウドゥードの代理人は、そこを明け渡し、彼と一緒にマールディーンを目指した。アル=ブルスキに包囲された後、その統治者のイルガーズィーは彼に服従し、息子のアヤーズと共に彼に増援を加えた。そこからアル=ブルスキは1万5000の騎兵を率いてエデッサへ向かい、そこをダフール・ヒージャ月[原注:1115年4月28日-5月26日]の間包囲した。フランク達は眼鏡に彼の攻撃に耐え、ムスリムのいくつかの失敗につけこんだ。彼らは九人の男を捕らえ、彼らを市壁の十字架に掛けた。戦闘は激しさを増し、ムスリムたちは燃えるような熱意で攻撃し、フランクの騎士指揮官を50人ばかり殺した。この包囲は、二ヶ月と数日続いた。
 しかし、ムスリムたちの兵糧が少なくなりはじめ、ために彼らはエデッサと、サルージ、スマイサートの領地を荒らした後、エデッサからスマイサートへ撤退した。マルアシュの領主はアル=ブルスキに中世を誓ったが、それを我々は後に記すだろう。その五、サハバフターンへ撤退し、彼の父が自身で参加しなかったことによって、アヤーズ・イブン=イルガーズィーを逮捕し、マールディーンの農地を荒らした。
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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