517年 記事番6 スルタンの宰相の死

イスラム歴517[西暦1123-1124]年 完史英訳1巻P247-248
「スルタンの宰相の殺害と、イブン=サダカのカリフの宰相への復帰」

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以下訳文
 この年の間に、スルタン・マフムードは彼の宰相のシャムス=アルムルク・ウスマーン・イブン=ニザーム=アル=ムルクを逮捕し、彼に死を賜った。この理由は、彼がスルタンにグルジア王国との戦争から手を引くよう助言したときに、彼はそれに反抗し――それが彼(スルタン)にとって最善だったのだが――、スルタンが彼に対して心変わりをしたからである。彼の敵は彼に関する讒言を流し、彼の責任能力の無さと、教養と良き統治の方法の不足などを呼ばわった。スルタンの彼に対する印象は非常に悪くなった。
 その後に、スルタン・サンジャルの宰相であるシハーブ=アッディーン・アブール=ムハースィンが死去した。彼はニザーム=アル=ムルクの甥であった。ニザーム=アル=ムルク家の敵の一人であるアブー=ターヒル・アル=クミーが、彼の後に宰相となった。彼はスルタン・サンジャルの側で、後者がスルタン・マフムードの元へ送られ、彼の宰相のシャムス=アル=ムルクを逮捕するよう命じるまで働いた。彼の彼に対する態度が変わったのと同時に到着した使者によって、彼は彼を逮捕し、トガーユルクの手にゆだね、彼は彼をハルハールの街まで連れて行きそこに幽閉した。
 アル=アジーズと呼ばれる管理官のアブー=ナスルが、スルタン・マフムードに言うことには「我々はスルタン・サンジャルが宰相に何らかの依頼を頼まないとも言い切れない。もし彼が彼に従ったら、我々は彼が何らかの問題を引き起こす原因なりえないとは言い切れない」。二者の間に敵意が広がった。スルタンはそこで彼に処刑を命じた。処刑人が彼の部屋に彼を殺すため入っていった時、シャムス=アル=ムルクは「二ラクアの祈りを捧げる間待ってくれ」と言った。彼が祈りを終えた時、彼は震え始めた。彼は処刑人に「私の剣はお前の剣より上等だ。私の剣で苦しませずに殺してくれ」と言った。彼はジュマーダ2月の2日[原注:1123年7月28日]に殺された。カリフのアル=ムスタルシド・ビッラーがこれを聞いたとき、彼は彼(シャムス=アル=ムルク)の兄弟のニザーム=アル=ムルク・アフマドを彼の宰相位から卸し、ジャラール=アッディーン・アブー=アリー・イブン=サダカを彼の席に戻した。ニザーム=アル=ムルクは八角形の屋敷をとり、それはバグダードのニザーミヤ学院にあった。管理官アル=アジーズの彼の席にいた日々は、この宰相[原注:ニザーム=アル=ムルク]の死の報いを受けて彼が殺されるまでだったが、それを我々は後に記すだろう。
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鉄勒京二

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