8章 ダーダネルス攻防第一部 part4

オットー・リーマン・フォン=ザンデルス
「Fünf Jahre Türkei」英訳 P.63-64

括弧内は管理人の注
管理人は翻訳に責任を持たない

以下訳文
 (承前)
 ガバ・テペと既述したマイドスの場所のうち一方、そしてアリ・ブルヌでは、戦艦が組んだ半円が海岸に迫り、重砲で援護するとともに兵士たちが軍艦と輸送艦からまさに上陸していた。
 我々に最も近い上部サロス湾では、多くの軍艦と輸送艦が海岸へ迫っていた。すぐに我々は絶え間ない砲火の轟音をその方向から聞くことになった。
 早朝、報告に現れた士官たちの青い顔を見れば、敵の上陸は確実に予想されていたにも関わらず多くの場所で敵の上陸は驚愕を引き起こし不安が充満しているのは明白だった。私はひとまず編成は変えるべきではないと感じた。これに関しては満足だ! 我々が上陸地点だと予想し特に防御の準備をしておいた場所を選び、敵の部隊は上陸してきたのだ。
 私が妙に思ったのは、大規模な上陸がこれら全ての場所で行われているものの、その時、敵が上陸しようとしている本当の場所がわからなかったことである。
 ガリポリの第七師への警告と、すぐにブライル方面へ向かえとの連絡の後、私はドイツ人の副官たちとともにブライルの頂上へ馬で向かった。
 ブライルの狭い尾根では樹木も茂みも視界を邪魔したり覆ったりはしておらず、我々は上部サロス湾の全景を見渡すことが出来た。我々の正面におよそ20の敵の船、いくつかの軍艦、輸送艦を数えることが出来た。いくつかの艦は海岸の傾斜のある坂に停泊していた。他の船は湾の中でもさらに外側にいたか、航行中だった。軍艦の舷側から砲火砲煙の雨が降り注ぎ、我々がいる尾根を含む海岸の全体は砲弾榴散弾の弾幕で覆われた。あれは忘れられない光景だった。しかし、輸送艦からの兵士の上陸はどこにも行われなかった。
 少し後、第三軍団を指揮するエサド・パシャが我々のいる頂上へやって来て、いくつかの詳しい報告をもたらした。英国軍の半島の南端部への上陸作戦は今のところ第九師団によって押し返されたが、敵はさらに大軍を送り込んでくるつもりだということがその報告によって分かった。ガバ・テペでは戦況は優位に動いていた。敵は今のところ上陸はできないだろう。しかし、アリ・ブルヌでは第十九師団がそこを奪い返すべく進軍したにも関わらず、海岸線の高い部分が英国軍に占領されたままになっていた。アジア側からはまだ詳しい情報は届いていなかった。
 私は、できうる限りの船を見つけマイドスへ向かい半島の南端部で指揮を採るようエサド・パシャに命じた。
 私自身はブレイルに残った。何故ならばここは半島の連絡を保つために最重要の拠点だったからだ。ヴェベル大佐の指揮のもと、アジア側の兵が安全を保っていることを私は知った。
 これは八ヶ月半を費やしガリポリ半島で双方あわせて75万人もの動員を行ったダーダネルス上陸作戦の始まりだった。
 敵の備えは称賛に値するものであったが、ただその瑕は彼らが古すぎる予備偵察に基づき、加えてトルコ兵の抵抗を見くびっていたことである。ゆえに、この壮大な軍事作戦が迅速かつ明確な軍事的到達であったと言いうるような明白な結果は、最初の数日では出なかったのだ。
 第五軍団は多くても6万人を数えるが、我々の概算では敵は8万から9万の兵士を最初の成功のため動員しており、この差分は他の場所を守備している兵員で埋め合わせるべきだった。さらに、敵の火力の優越は無視して見積もるにはあまりに巨大なものだった。彼の移動手段はほとんど無制限なのだ。4月25日、海岸の様々な区域で200に近い軍艦と輸送艦を数えた。
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鉄勒京二

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