8章 ダーダネルス攻防第一部 part5

オットー・リーマン・フォン=ザンデルス
「Fünf Jahre Türkei」英訳 P.65-66

括弧内は管理人の注
管理人は翻訳に責任を持たない

以下訳文
 (承前)
 ハミルトン将軍が彼の仕事を容易なものでないと考えていたことは、上陸前の彼の演説を見れば明らかだ。以下がその訳である。

 総司令部 1915年4月21日
 王とフランスの兵士たちへ
 我々は、近代の戦争としては空前の冒険的試みの前にある。艦隊の指揮官たちとともに、我々は敵がその難攻不落を誇っている真正面の開けた海岸へ上陸しようとしている。
 上陸作戦は神と海軍の助けによって上手くいくだろう。敵は強襲され、戦争は栄誉の終戦へ向けて一歩を進ませることになる。
 「覚えておけ」、これはキッチナー卿が君たちの司令官に別れを告げた時に言った言葉だが、「覚えておけ、ガリポリ半島にひとたび足をつければ、お前はその終わりまで戦わなければならない」。
 全世界が君たちの前進を見守っている。我々に任された大きな任務に我々がふさわしいのだと証明しよう。
イアン・ハミルトン

 彼の敵でさえ、ハミルトン将軍の兵士たちは最も勇敢で不屈にこの上陸作戦にあたり、彼の信頼に答えようとしているということを認めていた。
 4月25日の経過は、サロス湾の輸送艦が海岸へ近づこうと繰り返しボートを繰り出したが、それは我々の砲火の前に退却していったというものだった。この行動は私に対する威嚇を示した。輸送艦は喫水が浅いことが船の側面から見て取れた。輸送艦の甲板は全て密集した縦列状に線が引かれており、兵士が甲板上にいるのかどうかわからいようになっていた。しかし軍艦の重砲は絶え間なく降り注いでいた。
 午後、幕僚長が、敵の攻撃はベシカ湾に集中していたが撃退され、それは示威に過ぎないだろうという報告に基づいてガリポリから言伝を伝えてきた。
 すぐにマイドスのエサド・パシャから半島の南端セド・エル・バールとモルト湾のエスキ・ヒサールリクで差し迫った援軍の必要があるとの電信が届いた。敵は橋頭堡を確保し続けて戦力を増強していた。第九師団を指揮するサミ・ベイ大佐は最後の手持ち部隊を戦闘に投入したという。サロス湾の示威行動の印象からそれは確かに現実味を増してきたので、私はブライルの南東に分岐路に待機させていた第七師団に、その晩、二個大隊をガリポリの港へ船で送りエサド・パシャに報告するため彼らを夜のうちに派遣するよう命じた。同時に、私はサロス湾の東の角で準備を整えていた第五師団に、三個大隊をすぐにシャルケウイへ送り、夜の間にマイドスへ送るように命じた。敵の潜水艦がマルマラ海へ既に侵入していたためこれらの船団は全て夜間に編成された。25日の午前中は彼らはブライルの頂上にいる我々に後方から砲撃してきた。
 サロス湾では私は例え夜間に敵が上陸を仕掛けてきても十分に対応できると考えた。
 夜遅く、ガバ・テペへの敵の試みは全て撤退に終わり第十九師団が、コジャ・デレを通って進もうとしたオーストラリアとニュージランドの敵兵を追い返し、海岸の高所で新たに敵を対処しているとの報告が届けられた。
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鉄勒京二

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