522年 記事番3 その他の出来事

イスラム歴522[西暦1128]年 完史英訳1巻P274
「その他の出来事」

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以下訳文
 この年のサッファール月8日[原注:1128年2月12日]ダマスカスのあるじであったアタベク・トゥクテギンが死去した。彼は王族アルプ・アルスラーンの息子トゥトゥシュのマムルークであり、賢明かつ寛大であった。彼は頻繁にフランクを襲撃してジハードを遂行し、また住民をよく統治し、彼らに対し正しくあろうとした。彼の敬称はザーヒル=アッディーン[信仰の支援者]であった。彼の死後、彼の長子のタージ=アルムルク・ブーリーが彼の遺言の指名に基づいて彼の跡をついだ。彼は彼の父の宰相であったアブー=アリー・ターヒル・イブン=サアド・アル=マズダカーニーを引き続きその席に置いた。
 ラジャブ月の初日[1128年7月1日]、カリフの宰相ジャラール=アッディーン・アブー=アリー・イブン=サダカが死去した。彼の人生における行儀作法は良いものであり、彼の信仰は素晴らしいものであった。彼は上品であり、宗教者を愛し、彼らを尊敬していた。彼はいくつかの良い詩をものしており、ここにその例としてムスタルシド・ビッラーを讃えたものがある:

 私は(乾きを癒す)水のような味と立派さを備えた男を見つけた:
 信徒たちの司令官は冷たい飲み物(のようで)である。
 私は叡智を描いた姿を創造しようとした;
 信徒たちの司令官はその見本である。
 もし法と信心の信仰の道でなければ、
 私は尊敬を持って言うだろう、「高貴は彼の栄誉たるかな!」

 彼の死後、シャラフ=アッディーン・アリー・イブン=ティラード・アル=ザイナビーが代理として立ったが、後に正式に宰相となった。彼は523年のラビー2月の終わり[1129年4月21日]に任命された。彼はハーシム家の中で、唯一アッバース朝カリフの宰相となった男だった。
 この年、強い風が吹き、地平線を黒くした。風は赤く汚いものを運んできた。炎であったにもかかわらず、円柱が空に見えた。人々は恐れ、祈り悔恨したが、彼らの恐怖はそれによってますます高まるばかりであった。
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鉄勒京二

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