465年 アルプ・アルスラーンの家系、経歴

イスラム暦465[西暦1072-1073]年 
完史英訳、セルジューク朝分抄訳P177-178
「アルプ・アルスラーンの家系と、彼の人生のことについての記事」

括弧内は管理人の注
以下訳文
 
 彼の名前を省略しなければ、アルプ・アルスラーン・ムハンマド・イブン=ダーウード・チャグリーベク・イブン・ミーカーイール・イブン=セルジューク、となる。彼は気前がよく、公正かつ賢明で、讒言に耳を傾けなかった。彼が修めた国は広大になった。世界は彼に服従した。まさに彼はスルタンとして世界を治めたのである。
 彼は慈悲に溢れ、ウラマーの友であり、彼が授かった祝福を長く続け給うよう神によく祈った。ある日、彼はメルヴで何人かの貧しい下水掃除人たちを見かけ、さめざめと泣いた。彼は彼に施しの手段を与え給うた神に祈った。
 彼は施しも気前よく行った。ラマダーン月の間に彼は1万5千ディナールを喜捨した。彼の施政は彼の領地全てで恩給と寄付を受け取った貧しい人々の名前を留めている。彼の領地ではおしなべて過酷な処置や苛斂誅求は行われなかった。彼は領民たちから基本的な土地税、それも年に二回にわけて彼らが用意しやすいようにした課税で満足していた。
 何人かの報告者は、彼の宰相ニザーム・アル=ムルクと関連して、彼に悪評を被らせており、彼が支払うべきだった富と王国で受け取った富について書き記した。彼が祈っている場所でその紙が落ちてしまった。彼はそれを取り上げて読み、ニザーム・アル=ムルクに手渡して言うことには、「この文を見ろ。もし彼らが書いていることが正しければ行いを正し、もし彼らが嘘を言っているのなら、彼らの失敗を許して何か仕事を与えて他人を中傷する暇などないようにしろ」。これはいかなる統治者もこれ以上の対応はできないであろう対応であった。
 彼はしばしば彼に歴史について、また統治者たちの欠陥のない話について、さらにシャリーアについて読み聞かせた。彼が正しい統治を行い、約束を守り、それが統治者たちに伝わった時、最初は彼に反抗していても、彼らは彼への自らの忠誠と服従を明らかにした。彼らはトランスオクシアナの遠くから、シリアの辺境から、自ら彼の前に現れた。
 彼は特に彼の臣民の財産を兵士たちから守ることに厳格であった。伝えられているところによれば、彼個人のあるマムルークが彼の踊り子の女性を襲おうとしたので、彼はそのマムルークを捕えてはりつけにした。これによって、人々は他人の財産に手を出すことをやめるようになった。
 アルプ・アルスラーンの素晴らしい点は多いが、この本に全てを書き記すことはできない。彼は以下の子供たちを残した:彼の後を継いだマリクシャー、そしてアヤズ、テキシュ、ブーリバルス、トゥトゥシュ、アルスラーン・アルグーン、サラ、アイーシャ、そしてその他の娘たちである。
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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