527年 記事番4 ムスタルシドのモスル包囲

イスラム歴527[西暦1132-1133]年 完史英訳1巻P302-301
「アル=ムスタルシド・ビッラーのモスル包囲に関する記事」

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以下訳文
 
 この年、アル=ムスタルシド・ビッラーがラマダーン月20日[原注:1133年7月]にモスルの街を包囲した。これは既に記した以前の殉教者ザンギーによるバグダード攻撃が原因である。
 この時点で、セルジュークのアミールたちの集団がアル=ムスタルシドの宮殿に来て彼に加わり、力添えをした。一方で、セルジュークのスルタンたちは彼らの内紛に夢中だった。カリフは説教師のシャイフ・バハー=ウッディーン・アブール=フトゥーハ・アル=イスファハーニーを、厳しい言葉をしたためた伝言とともにイマード=アッディーン・ザンギーのもとへ送り、アブール=フトゥーハはそれに付け加えて、カリフの力とカリフ位の威厳を述べた。ザンギーは彼を屈辱的なやり方で捕らえ、いやなやり方で扱った。そこで、ムスタルシドはスルタン・マスウードに彼にこの状況がザンギーによって引き起こされたものであり、モスルへ進軍し包囲するつもりであることを書送った。シャアバーン月が来る前の幾日かが過ぎ、この月の中旬[原注:1133年7月20日]になって、彼は3万の軍勢とともにバグダードを発った。
 彼がモスルの近くまで来た時、残りの軍勢を司令官代理で要塞の指揮官にして彼の兵士の長であったナスィール=アッディーン・ジャカルとともに、そこを確保しておくよう命じて街へ残し、アタベク・ザンギーと彼の部隊の一部は街の外へ繰り出した。カリフは街を囲み、攻撃を開始し、守備隊を激しく押した。イマード=アッディーンは新ジャールへ向かい、[原注:カリフの]軍の補給線を夜毎遮断した。彼が捉えた人はだれであれ連れ去り厳しく扱った。
 問題は彼自身の軍勢にもあった。モスルの何人かの左官が街を明け渡そうと企んだが、密告され、捕らえられて縛り首にされた。モスルの包囲は三ヶ月続いたが、その一部分でも取ることは出来ず、またカリフは駐屯軍の弱い部分を知ることも、また物資や食料の不足を耳にすることもなかった。彼は包囲を諦めバグダードへ戻った。伝えられているところによれば、宦官のナザルがスルタンの野営地から彼のところへスルタン・マスウードが彼の軍勢をバグダードへ戻さざるを得なくなっていることを伝えた。さらに、彼はスルタン・マスウードがイラクを侵略しようとしていることを聞いたと述べ、そのため彼は帆船[原注:シャッバーラ]で急いでティグリスを下り、アラファトの日[原注:1133年10月11日、巡礼者がメッカの東のアラファト山へ集まる日]にバグダードへ着いた。
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