543年 記事番2 第二回十字軍

イスラム歴543[西暦1148-1149]年 完史英訳2巻P21-22
「いかにしてフランク達はダマスカスを包囲し、サイフ=アッディーン・ガーズィー・イブン=ザンギーは何を行ったか」

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以下訳文
 

 この年、ドイツ皇帝が彼の国から大勢のフランク人の兵士と随行員を引き連れてイスラームの地を攻撃する目的のために訪れ、その財力、兵力の為に容易に征服してしまえるものと思われた。彼がシリアに到着し、フランクたちは彼を見ようと待ち受けており、彼の命令と禁令に諾々として従った。彼は、彼らに従軍を命じ、ダマスカスを取るべしと主張した。彼らはしかるべき時に彼に従い出発し、街を包囲下に置いた。その街の統治さはムジール=アッディーン・アバク・イブン=ブーリー・イブン=トゥクテギンであったが、彼はまったく権威を持っていなかった。街の全ての権力は、彼の祖父トゥクテギンのマムルークであったムイーヌ=アッディーン・ウヌルに集中しており、彼はムジール=アッディーンに任命されたのだった。ムイーヌ=アッディーンは知的であり、正義感があり、素晴らしい性格で品行方正であった。彼は軍勢を集め、街の防備を整えた。
 フランクは包囲を続け、ラビー1月6日[原注:1148年7月25日]、彼らは歩騎両方で攻撃を開始した。民衆と常備軍は彼らと叩くため外へ打って出て彼らと交戦した。彼らの中に、法学者のフジャット=アッディーン・ユースフ・イブン=ディルバース・アル=フィンダラーウィー・アル=マグリビー師がいた。彼は素晴らしいシャイフで、また権威ある法学者でもあった。ムイーヌ=アッディーンは彼が徒歩で進むのを見て、彼のところへ行き、挨拶して言うことには「シャイフ、貴方はご老体なのだからお引き下がり下さい。我々こそがムスリムの防衛を担いますれば」。そして彼に戻るよう頼んだ。彼がそれを拒否して言うことには、「私が売り、主が買い給うた。神にかけて、私は戻らないし退くことはできないのだ」。彼は至高の神の言葉を引用した。「真にアッラーは楽園と引換で、信徒たちから彼ら自身とその財産とをそっくり買い取り給うた[原注:コーラン9章111節]」。彼は進み出てフランクたちと戦い、ダマスカスから半リーグほどのアル=ナイラブで殉教した。
 ムスリムが弱体化する一方で、フランクは勢いづいていた。ドイツ皇帝は陣営を前へ進め、緑の競馬場に陣取った。人々は彼が街を征服してしまうに違いないと思った、ムイーヌ=アッディーンはアタベク・ザンギーの息子のサイフ=アッディーンに救援を要請し、ムスリムのため敵を蹴散らしてくれるよう頼んだ。彼はそれに置いじて軍勢を集めシリアへ向かい、彼の兄弟のヌール=アッディーン・マフムードをアレッポから引き連れてきた。彼らはホムスで野営し、ムイーヌ=アッディーンに書送って言うことには、「私は私の領地で武器を持てる者全てを引き連れてやってきた。代理をダマスカス城内に送りたい。私はフランクと戦おう。もし私が負ければ、私と我が軍勢は街へ入り身を守れることが出来る。もし私が勝てば、街は貴公のものであり、私はその領有について争うつもりはない」。
 彼(ウヌル)はまたフランクにも手紙を送り、もし彼らが街から撤退しなかった場合について脅迫した。フランクたちは損害を恐れて攻撃を弱めた。というのも、サイフ=アッディーンと戦わざるを得ない可能性があったからである。彼らは街の防衛が強化されるままにまかせておき、また攻撃を一時的に休止した。ムイーヌ=アッディーンはは新しく到着したフランクたち(ドイツ王の軍勢)にも手紙を送った。「東方の統治者がお出ましになった。もしお前たちが撤退しなければ、私は街を彼に明け渡す。後悔は先に立つものではないぞ」。一方で、彼はシリアのフランクにも手紙を送り、彼らに伝えることには、「どういうつもりで御身らは我々に害為す者を援助するのか? もし彼らがダマスカスを取れば、彼らは次に御身らの城を取ってしまうに違いないことくらい分かるだろう。私自身はもし町の防衛が手に余ると思えばサイフ=アッディーン殿に街を明け渡すともりだが、もし彼がダマスカスを手にすれば彼は御身らにシリアでの活動を一切許すまいぞ」。彼らはこれに納得し、彼と協定を結んでドイツ皇帝を説得にかかり、さらにムイーヌ=アッディーンは彼らにバニヤースの砦を引き渡すと申し出た。
 レヴァントのフランクはドイツ皇帝に面会し、サイフ=アッディーンについて彼の強力な軍勢と絶え間ない補給と増援について警告した。「もし彼がダマスカスを取れば、あなたの軍勢は彼に対抗するには弱すぎるのです」。彼らは彼が街から撤退するまで説得し続けた。彼らはバニヤースを受け取り、ドイツ人たちは彼らの悔いへコンスタンティノープルを経由して帰っていった。神は信徒を邪悪から守り給うたのである。
 アル=ハーフィズ・アブール=カースィム・イブン=アサーキルは彼の『ダマスカス史』の中でウラマーの一人がアル=フィンダラーウィー師と夢で会ったと伝えている。彼は「神はあなたをどうしたのだというのだ? あなたはどこにいる?」。彼は「主は私を許された。至福の園に入り、寝台の上に見な互いに向かい合って座っておる[原注:コーラン37章44節]」と答えたとのことである。
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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