サラディン伝 ハッティーンの戦い

サラディン伝英訳P72-75
「ムスリムへの祝福、ハッティーンの戦いに関する記事」

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以下訳文
 583年ラビー2月24日の土曜日[原注:1187年7月4日]にそれは起こった。スルタンは、彼の確固とした統治、すなわち神から与えられた彼の統治力が大地に行き渡っていることと、人々が彼に従っていること、これらの神の恩寵に対して感謝を示すには最大限に自分自身を最大限に鼓舞し、ジハードの義務を果たすしかないと気付いた。彼は全軍を招集すべくし者を送り、彼らはアシュタラーへ指定された日に集まった。彼は彼らを閲兵し、作戦計画を整え、ラビー2月17日の金曜日[原注:6月26日]、神に見捨てられた敵の土地へと進軍を始めた。彼は常から戦のために金曜日、特に祈りの金曜を選んでいた。というのも、祈る人々たちの祝福を受け、それに応えるためであった。
 彼はその時、軍を戦闘隊形にして進み、フランク達が彼が軍を集めたのに気づいてアッカ領のサッフーリーヤ平原一面に集まっていることを知った。同日、スルタンはティベリアスの近くのサンナバラと呼ばれている村に野営した。そして彼は移動し、ティベリアス湖の西の山頂に野営し、戦闘隊形を取り、フランクたちがそれを知ってやってくるのを待ち受けた。しかし、彼らは陣地から動こうとしなかった。彼はラビー2月21日の水曜日[原注:7月1日]にその野営地を引き払い、彼らがまだ動かないのを知り、本隊を敵のいる方向へ対面させたまま残し、軽装部隊を率いてティベリアスまで降りていった。彼はティベリアスを攻撃し、直接攻撃からわずか一時間で街を奪取した。兵は放火、殺人、捕虜を取り、略奪に走った。内城は孤立した。
 ティベリアスで何が起こったかを聞き、敵はしびれを切らし、すぐにティベリアスを防衛するべく進軍した。ムスリムの斥候がアミールたちに、フランクは動いていることを伝えたので、彼らはスルタンにこれを知らせるべく人を送った。彼はティベリアスの内城を見張る人員を残し、部隊を引き連れて本隊へと合流した。両軍はラビー2月22日の火曜日[原注:7月2日]に、街の西、ティベリアス山の斜面で会敵した。
 日が落ちたので両軍は戦闘を止め、野営地で武器を持ったまま翌23日[原注7月3日:]の水曜日の朝まで過ごした。両軍は騎乗し、ともに激突した。前衛は作戦に入ったので、本隊が前へ進み戦いは熾烈を極めた。これはルービヤーと呼ばれる村の周辺で行われた。彼らは首輪を付けられた獣のようなもので、彼らの最後の審判と破滅の日が来て、それらが彼らの墓を訪れると信じ、彼らに迫る死の縁に叩き落とされゆく間にも前進した。
 戦闘は至近距離で続いており、騎兵は彼らの敵と激突し、[ムスリムたちの]勝利がおとずれ、不信心者にとっての災厄がまさに訪れようとしていたが、しかし夜の帳が落ち、戦いは中断された。この日は空前の大きな戦果があり、多くの努力が払われた。どの部隊、疲れて弱りきり立っているのもいっぱいの状態であったが、も軍装を解かないまま敵襲を警戒して夜を過ごした。
 結局、土曜日のあさがきて、祝福がくだされた。両軍は位置を整えたが、どこであれ綻びが出れば全滅させられるということを分かっていた。ムスリム達は背後にヨルダンを控えていたが、敵の後ろには何も彼らを助けるものがなかった。神はすべてを知り給う。
 神は運命を定め、信者たちに勝利を用意し、彼はしかるべきときにそれを意図したままにもたらした。ムスリム軍は敵の両翼と中央に突撃をかけた。彼らはひとつになったように叫び、その時神は不信心者の心に恐怖を起こさせた。「信心深い人々を助けて勝利に導くことを我らは本分として守って来た[原注:コーラン30章47節]」。
 [レイモン]伯(トリポリ伯レイモン3世)は賢明で如才ない彼らの指導者であった。彼は同宗の信徒たちに敗北の印が現れ、彼の部下たちが援助に来る気がないのに気づき戦闘が激しくなる前に、ムスリムの一隊に追われながらティールへ向かって落ち延びていった。彼一人が助かったが、イスラームは彼の企みから守られた[原注:この後、すぐに彼は死去した]。
 イスラーム軍は不信心者の軍をあらゆる方向から包囲し、矢の雨を放ち、次から次へと敵にうちかかった。一隊は逃げて、我らのムスリム騎兵に追撃された。この一隊は全滅させられた。ほかはヒッティーンの丘に避難したが、そこはシュアイブの廟―彼と諸預言者たちの上に平安と祝福を―のある場所に近い村である。ムスリムたちは彼らを丘の上へ追いやり、彼らの周りに火を放った。乾きが彼らを殺し、彼らは非常に困難な状況に陥り、彼らは殺されることを恐れて投降した。彼らの司令官は捕らえられたが、残りは殺されるか捕虜となり、彼らのうち生きていたのは、彼らの指導者であったギー王[原注:ギー王はゴドフリーという兄弟がいた]、王の兄弟でシャウワバクのあるじのルノー公、ハンフリーの子、ティベリアス婦人の子、テンプル騎士団の総長、ジュバイルのあるじ、ホスピタル騎士団の総長であった。残りの指揮官たちは殺され、身分の低い兵士たちは別れ、殺されるか捕虜となった。殺されなかった人々は全て捕虜となった。貴顕の何人かは進んで命を差し出した。信用できる伝手から得た情報によると、彼らは甚だしい敗北を被ったので、彼はハウラーンで、一人の男がテントのロープに30人の捕虜をつないで引いているのを見たという。
 生き残った彼らの指導者たちについては、これからその運命を詳しく話すこととしよう。逃亡した(トリポリの)伯はトリポリへたどり着き、胸膜炎を患って、神は彼に死を賜った。ホスピタル騎士とテンプル騎士たちに関しては、スルタンは彼らを例外なく殺しつくした。スルタンは力を手に入れた暁にはルノー公を殺すと誓っていた。これは、エジプトからの隊商がシャウバクの領地を休戦中に通過したところ、彼らを止まらせ欺いて殺してしまったからである。スルタンはこれを聞いて信仰と熱意が彼をこの誓いへと駆り立てた。もし彼(サラディン)が彼(ルノー)を捉えたら、彼は彼を殺すと誓ったのだ。神が大勝利を彼に与え給うた後、人々が彼らが捉えた司令官たち捕虜の引渡しを彼に求める中、スルタンは彼の天幕がまだちゃんと立っていなかったため、その入り口に立っていた。[主たる]テントが建てられ、彼は喜びこ抱いてそこへ入り、神が彼に与えた恩恵に感謝を示した。そして彼はギー王とその兄弟のルノー公を呼び出した。彼は王に、冷たい砂糖水を渡し彼は酷くのどが渇いていたのでそのうちいくらかを飲み、残りをルノー公に渡した。スルタンは通訳に向かってこう告げた「王に伝えよ、『私が水を与えたのはあなただけだ。私は彼(ルノー)には水を与えていない』」。アラブのすばらしい習慣には、誰であれ彼を捉えた者から、捕虜が食べ物か飲み物を与えられたときは、その生命が保証されるというものがある。彼はこの素晴らしい習慣に従うことを意図していたのだ。
 彼は彼らに宿泊すべき場所に移るよう命じた。彼らはそうしてそこで食事をとった。スルタンは彼らを再び集めたが、今回は数人の使用人の他は誰も引き継いれていなかった。彼は王に出入口の椅子を勧め、ルノー公を呼び寄せて、彼の言うことを確かめさせた。彼は彼に告げた。「ここに、私はムハンマドを通じて勝利を念願し、神は私に彼に対する勝利を授けられた」。彼は彼にイスラームに改宗するよう言ったが彼は拒否した。スルタンは彼の剣を抜いて彼に斬りつけ、肩から腕を切り飛ばした。こうして状況は終わり、神はすぐさま彼の魂を地獄の業火へ放り込んだ。彼の死体は取り除かれテントの扉の所へ捨てられた。王はこのやり方を見て次は自分であろうと確信していた。スルタンは彼を呼んで安心させるために言った。「王が王を殺すという習慣はありはしない。だが、あの男は限界を逸脱したために殺されるべくして死んだのだ」。その夜は我々は楽しみ、大喜びして、神をたたえ彼に感謝する声が響き、「アッラーフアクバル」と「アッラーの他に神はなし」の叫びが日曜日の朝まで響いていた。
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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