567年 記事番2 シリアとエジプトの不和

イスラム歴567[西暦1171-1172]年 完史英訳2巻P198-200
「ヌール=アッディーンとサラディンの間の深刻な不和についての記事」

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管理人は翻訳・要約に責任を持たない

以下訳文
 

 この年、ヌール=アッディーンはサラディン(の行動)に狼狽したが、彼はそれを明らかにしなかった。これは以下のような事情による。サラディンはエジプトからフランクの領地を攻撃するためこの年のサッファール月[原注:1171年10月]に出撃した。彼はシャウバクの城砦――そこはカラクから一日行程であるのだが――へ向かい、包囲を敷き、フランクの防衛隊を圧迫した。長い戦闘の後、彼らは交渉を持ち、10日間の休戦を申し出た。これは認められた。
 ヌール=アッディーンがサラディンの行動を聞いてダマスカスを発ち、彼もまた他の方角からフランクの領土へ入るために向った。サラディンは以下のように進言された。「もしヌール=アッディーンがこの状況下でフランクの領土へ入れば、御身が一方でヌール=アッディーンがもう一方になり、彼は彼らを征服し、フランクが彼の進路から一掃され彼らの王が捕らえられれば、ヌール=アッディーンはエジプトに寸土も残しはしますまい(=ヌール=アッディーンはエジプトに軍を進め征服してしまうでしょう)。もしヌール=アッディーンがここへ御身に会うために来れば、御身は彼に会わざるを得ず、彼はその権威を彼の望むままに御身の上へ振りかざし、彼は御身を去らせ、御身はそれに抗うことはできないでしょう。最善の策はエジプトへ戻ることです」。
 サラディンはそこでシャウバクから撤退し、フランクからその地を奪うこと無くエジプトへ取って返した[原注:サラディンはラビー1月の15日[1171年11月16日]、カイロに戻った]。彼はヌール=アッディーンに、アリー党(シーア派のこと)が予期しない問題を起こしエジプトが不安定な状態にあるために、この件について許してもらえるよう書き送った。彼がエジプトからの距離のために、以前の体制が彼の部下たちに大して立ち上がり、彼らを除いて再び盤石となることを恐れたのである。彼は詳細に弁明したが、ヌール=アッディーンはこれらを承服しなかった。彼の彼に対する姿勢は、変化し、彼はエジプトへ進軍し彼を除くことを決意した。
 これが公になり、サラディンはその報告を聞いた。彼は彼の一族――彼の父のナジュム=アッディーン・アイユーブ、母方の叔父シハーブ=アッディーン・アル=ハリーミーに加えて他のアミールたち――を集め、彼が聞いたヌール=アッディーンの遠征計画を伝えた。彼は彼らに助言を求めたが、誰も答えようとしなかった。そこで彼の甥のタキー=アッディーン・ウマルが立ち上がり、以下のように言った。「もし彼が我々を攻めようというのならば、我々は断固として戦い、彼を国境の外へ追い出すべきである」。他も彼に同意したが、しかしナジュム=アッディーン・アイユーブはそれを叱責し、彼がその意見に不賛成であり嫌悪することを表明した。彼はタキー=アッディーンを叱責し、彼を座らせた。サラディンに向かって彼が言うことには、「私はお前の父で、ここにいるのはお前の叔父のシハーブ=アッディーンだ。我々はお前をお前が思っている以上に愛している。(しかし、)神にかけて、もし私やお前の叔父がヌール=アッディーンに会ったとすれば、我々は彼の前にひれ伏す他ない。もし彼がお前を打首にしろといえば、そうせざるを得ない。もし我々さえそうせざるをえないのなら、お前は他の者についてどう考える? お前が今、眼の前にしているアミールたちもヌール=アッディーンにひとたびまみえれば、あえて鞍上に残ろうとする者なぞおるまいぞ。この国土は彼のものだ。我々は彼のマムルークであり代理にすぎない。もし彼がおまえを追放することを望めば、我々は彼に従わざるをえない。最善の策は、急使に手紙を預けることだ。そこにこう書くがいい「私は御身が国(エジプト)へ兵を動かすと伺いました。何故そのような必要がありましょうか? わが主君よ、私に使者を差し向けられるだけで十分でありましょう。さすれば、わが首に(首を絞めるための)ハンカチをまきつけ御前へ参上いたしましょう。ここには御身に歯向かおう者など誰一人としておりません」」。
 彼はアミール達と余人を去らたので、彼らは解散した。アイユーブが彼と二人きりになった時、彼は彼へ言った。「どういうつもりであんな行動を取ろうとした? ヌール=アッディーンがお前の叛意と戦意を知れば彼は我々のことを最重要問題と見なすことに気付いておらんのか。そうなればお前にはヌール=アッディーンに対抗するだけの力は無い。だが、彼が何が起こったか、そして我々の忠誠を聞けば、彼は我々を放置して他の問題に注意を向ける。時はおまえとともにある。神にかけて、もしヌール=アッディーンが砂糖キビの一本でも望めば私は彼を止めるために死ぬまで戦うつもりだ」。サラディンは助言の通りに行い、ヌール=アッディーンは彼の計画を放棄し、他の問題に取り組み始めた。ことはアイユーブが予想した通りになった。ヌール=アッディーンは彼に大して動くことはなく、サラディンがその地を支配した。これは極めて良く素晴らしい助言の例である[原注:ザンギー朝寄りの著者の姿勢にも関わらず書かれているこの賞賛は注目に値する。皮肉を意図したものではない]。
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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