526年 記事番2 セルジューク朝継承戦争

イスラム歴526[西暦1131-1132]年 完史英訳1巻P291-293 
「スルタン・マスウードと他の二人の王族、セルジュークシャー及びダーウードの状況と、マスウードのスルタン位がイラクで確立されたこと」

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以下訳文
 

 我々が既に記したように、スルタン・ムハンマドの息子スルタン・マフムードが死去し、高原とアゼルバイジャンで彼の息子の王族ダーウードのためにフトバが咏まれるようになった後、ダーウードは525年のダフール・カーダ月[原注:1131年9月25日-10月24日]にハマダーンを離れ、ザンジャンへ向った。彼の叔父スルタン・マスウードがジュルジャンを離れタブリーズへ入り、そこで支配権を握ったという報せが彼のもとへ入った。ダーウードはそこへ進軍し、彼を包囲した。彼らの間で526年のムハッラム月の終わり[原注:1131年12月22日]に和議が結ばれた。
 王族ダーウードは一日行程の距離を撤退し、スルタン・マスウードはタブリーズを退いた。兵士たちは彼の周囲に集まり、彼らはハマダーンへ移った。彼はバグダードへフトバを詠んでもらえるよう頼んだ。王族ダーウードの使者は先んじてアル=ムスタルシド・ビッラーにフトバを詠むよう頼み、彼はフトバについてはスルタン・サンジャルに判断を任せると返信した。彼が誰にフトバを与えようとしているかは問題ではなかった。カリフはスルタン・サンジャルに、双方ともフトバにふさわしくなく、彼一人がフトバにふさわしいとほのめかした。これはサンジャルに好意的に受け止められた。
 このあと、スルタン・マスウードはモスルとその他の領地のあるじであるイマード=アッディーン・ザンギーに連絡を取り、彼の援軍と援助を頼んだ。ザンギーは彼の後ろ盾となることを約束したため、マスウードはスルタン位により強く野望を持つようになった。
 ファールスとクズィスターンの統治者であり、スルタン・ムハンマドの息子であったセルジュークシャーのアタベクであったカラージャ・アル=サーキー[原注:酒給係のカラージャ]は、バグダードへ大軍を進めた。彼はスルタン・マスウードがスルタン宮へ辿り着く前に到着した。カリフは彼を名誉のうちに歓待し、彼の援助の約定を取り付けた。そしてスルタン・マスウードの一行がフトバを求めもしそれが許可されなかった場合に脅すために到着した。その請願は受け入れられず、マスウードはアッバースィーヤ・アル=カーリスで野営した。カリフの軍とセルジュークシャー、カラージャ・アル=サーキーの軍勢は戦端を開き、マスウードの方へ向かい、最終的にアタベク・イマード=アッディーン・ザンギーと干戈を交えるべく動いた。一昼夜彼らはアル=マシュークへ進軍し、ザンギーに襲いかかり彼を戦闘に引きずり込んだ。彼の部下の多くが捕虜となり、ザンギー自身はティクリートへ逃亡し、そこでティグリス河を渡った。当時の城主はナジュム=アッディーン・アイユーブであり、彼は彼に渡し船を提供した。河を渡ったため、彼は折ってから自由になった。彼は自身の領地へ帰り、状況と兵員を回復した。後に我々が記すように、ナジュム=アッディーン・アイユーブのこの行動は、彼のザンギーとの関係を作り、彼が彼の部下となり、最終的にはその一族がエジプト、シリアとその他の土地の統治者となることに繋がるのである。
 スルタン・マスウードはアル=アッバースィーヤからアル=マリキーヤへ移った。前衛はマスウード軍と彼の兄弟のセルジュークシャーとの間で別の小競り合いが2日ほど続いていると知らせてきた。セルジュークシャーはカラージャを駆り立てたので彼は急いで転進し、ティグリスを西岸へ向けて渡った。スルタン・マスウードはイマード=アッディーン・ザンギーの後退を知ったので、彼は撤退しカリフに、スルタン・サンジャルがレイに到着したことと、彼がカリフや他の勢力に対抗しようとしていることを伝え、[加えて、]「もしあなたが我々が彼と戦い彼をイラクから追い出すために連合すべきだと考えるなら、それはカリフの代理人にかかっており、私はそれに全く同意するものである」と伝えた。カリフは彼に返答を伝えた。
 和議を話しあうため使者の高官が行われ、結局は彼らはイラクはカリフの代理人によって治められること、マスウードはセルジュークシャーを後継者に指名して、スルタンとなることが同意された。彼らは互いに誓いを交わした。スルタン・マスウードはそこでバグダードへ戻り、スルタン宮の屋敷を接収し、セルジュークシャーは知事の屋敷に宿泊した。この連合はジュマーダー1月[原注:1132年3月20日-4月18日]に行われた。
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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