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525年 記事番2 マフムード2世死去

イスラム歴525[西暦1130-1131]年 完史英訳1巻P288 
「スルタン・マフムードの死と彼の息子ダーウードによる継承」

括弧内は管理人の注
管理人は翻訳・要約に責任を持たない

以下訳文
 

 この年のシャッワール月[原注:1131年8月27日-9月24日]、スルタン・ムハンマドの息子であったスルタン・マフムードがハマダーンで死去した。彼が病に臥せる前に、宰相のアブール=カースィム・アル=アナサーバーディーは何人かの国内のアミールと名士たち――監査官アズィーズ=アッディーン・アブー=ナスル・イブン=ハーミド、シールキールとして知られるアミール・アヌーシュタキーン、その息子でスルタンのアミール・ハージブのウマルらその他を含む――を恐れ警戒しはじめた。彼はティクリートのムジャーヒド=アッディーン・バフルーズのもとへ逮捕したアズィーズ=アッディーンを送り、そこで後に彼は死を賜った。シールキールと彼の息子はジュマーダ2月[原注:1131年5月]に処刑された。
 このあと、スルタンは病に臥せり、シャッワール月に死去した。彼の息子のダーウードが宰相アブール=カースィムと彼のアタベクの同意のもとでスルタンに即位した。彼へのフトバが高原とアゼルバイジャンで唱えられた。ハマダーンでいくつかの暴動がハマダーンと他の高原地帯で起こったが、沈静化した。人々が静かになり落ち着いた後に、宰相は財産とともにレイへ移り、レイはスルタン・サンジャルの庇護下にあるので、彼は安心した。
 彼が死んだ時、スルタン・マフムードはおおよそ27歳だった。彼はスルタン位に12年9ヶ月20日間在位した。彼は温厚な気性で、寛大であり知性的であった。彼はその力があるにも関わらず、彼が不愉快となることを聞いても罰を与えなかった。彼はめったに領民に富の収奪を求めること無く、それを手放し、また彼は部下たちがそれらを奪うことを許さなかった。
プロフィール

鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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