541年 記事番3 ザンギー死す

イスラム歴541[西暦1146-1147]年 完史英訳2巻P382-383
「アタベク・イマード=アッディーン・ザンギーの殺害と、彼の略歴についての記事」

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以下訳文
 

 この年のラビー2月5日[1146年9月14日]モスルとシリアのあるじであったアタベクにして殉教者、イマード=アッディーン・ザンギー・イブン=アクソンコルが、我々が既に記したようにカラアト・ジャアバルを包囲しているさなかに殺害された。彼のマムルークのうち何人かが彼を殺し、カラアト・ジャアバル(=敵方)に逃れた。これらのこの場所を守っていた者たちは叫び、[包囲していた]兵士たちに彼の殺害を知らせ喜びを明らかにした。彼の部下たちは彼の近くへ駆け寄り、彼が逝去する瞬間を見た。
 私の父は、ザンギーの腹心の一人が以下のように言っていたと教えてくれた:

「私は彼が生きている間に彼の元へ急いだ。彼が私を見た時、私が彼にとどめを刺そうとしにきたのだと思った(のだろう)。私に指で印を作り、許しを請うた。私は恐れ、彼に問うた。『閣下、誰がこのようなことを』。彼は、しかしそれを伝えることは出来ず、息絶えた――神よ彼に慈悲を垂れ給え!――」

 [私の父は]、またこうも言った:

「彼は容貌の素晴らしい男で、日に焼けた肌と愛想のよい目の持ち主だった。彼の髪は既に灰色になっていた[原注:彼は、非常にというほどではないが長身だった]。彼は60歳以上で、私が既に言ったように、幼いころに彼の父を殺された[原注:アクソンコルは487/1094年に殺され、当時ザンギーはおよそ10歳だった]。彼の死後、彼はアル=ラッカに埋葬された」

 彼は兵士たちや領民に非常に畏敬されており、その政治的な統制は強力であった。どんな強大な者であってもその弱みを握ることは出来なかった。彼の領地は、彼が征服する以前、入れ替わる統治者たちの圧政と、フランクの領土に近いことによって荒廃した土地だった。彼はこの土地を開発し、にぎやかで人の多い場所にした。
 私の父は、以下のように言った:

「私はモスルが最も荒廃していた時を知っている。太鼓奏者地区[原注:ムハッラト・アル=タバーリーン。カーシ・アル=マアーディディの地図によれば街の北西部にあった]の近くに立てば、旧モスク、市場、政庁を見ることが出来た。というのも、その間に全く建物がなかったからだ。旧モスクは居住区からとても遠かったから誰も護衛無しではそこへ歩いていけなかった。今日では密集地の中央や、言及したような地区では、使用されていない土地などなくなっている」

 彼はまた私にザンギーがジャジーラ[・イブン=ウマル]に、とある冬に来たと語った。彼の古参のアミールで、イクターをダクーカに持っていたアミール・イッズ=アッディーン・アル=デュバイスィーが、そこへ入り、あるユダヤ人の屋敷を接収した。そのユダヤ人はこの件をアタベクに訴えた。ザンギーはデュバイスィーを睨みつけたので、彼はあわてて立ちのいた。彼は街へ入り、彼の荷物と幕舎を運び出した。私の父は言っていた。「私は彼のマムルークが彼の幕舎を泥の上に建てて、泥よけのためにわらを地面の上に敷いているのを見た。アミールは街を去って彼の幕舎に自分の場所をとった。ザンギーの権威はそのような域にまで達していたのだ」。
 モスルはかつて最も実りの少ない場所だった。ザンギーが統治するようになって、モスルは実りの多い地となったのだ。
 ザンギーはまた、特に兵士たちの妻に気を配った。彼は言っていた。「もし我々の兵士の妻たちの面倒をよくみてやらねば、彼女たちは、夫が頻繁に遠征で留守にするために身を持ち崩してしまうだろう」。
 彼は神の被造物の中で最も勇敢であった。彼が統治者となる前について言えば、彼がモスルとフランクに属するティベリアスのあるじであったアミール・マウドゥードに伺候していたということで十分だろう。彼はアクル=アル=フマイディーヤの城砦を攻撃し、それは高い山の上にあったのだが、その投槍はその城壁の上にまで届いた。同じようなきわだった行いは他にもあった。彼が統治者となってからについて言えば、彼の敵たちは彼の領土を囲んでおり、その全てが攻撃し奪取しようと狙っていたが、彼はその防御のみに飽きたらず、結果として一年につき彼らの領地を奪わない時は無かった。カリフ・アル=ムスタルシド・ビッラーはティクリート領において彼の隣人であり、モスルを攻撃し、その土地を包囲した。シャフラズール方面での隣人はスルタン・マスウードであった。また、キラートのあるじイブン=ソクマーン、ヒスン・カイファーのあるじダーウード・イブン=ソクマーンやアーミドとマルディーンのあるじ、そしてマルディーン周辺からダマスカス周辺のフランクたち、最後にはダマスカスの統治者その人(のような隣人)がいた。これらの王国は、全ての方面から彼の王国を取り囲んでいた。彼はこれらをひとつづつ攻撃し、彼らから奪い、彼がそこを包囲するまでの間には策謀を用いたりした。我々は既に彼の遺業をふんだんに『アタベク王朝史(al-Ta'rikh al-Bahir fi'l-dawla al-atabekiyya)』のなかで、彼の土地と子孫たちについての歴史も含めて記している。関心のある向きはこの著作を参照されたい。
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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