原理主義の終焉か/私市正年


 副題は「ポスト・イスラーム主義論」。リブレット「イスラームを知る」シリーズの一冊。
 本書が歴史の本かと言われると少し微妙だが、著者の私市教授は北アフリカ・イスラーム主義運動とアラブ民衆史を研究している方である。
 
 '09年にシリーズ1巻『イスラーム 知の営み』と10巻『原理主義の潮流 ムスリム同胞団』が発売された時に既に全巻のタイトルと内容はあらかた決まっていたようだが、この巻に限れば今回「アラブの春」を受けある程度手が入ったものと思われる(表紙の写真からしてチュニジアのジャスミン革命時のものである)。

 本書はイスラーム主義(イスラーム原理主義)が後退し、新しい潮流(ポスト・イスラーム主義)が生まれつつある現状を考察したものである。「理屈ではこうなる」、あるいは「こうなるべきだ」ではなく、「現実にこうなっている」を分析し、その慣性のままに向かう未来は「こうなるであろう」と予想している。

 内容としては、20世紀の後半から筆を起こし、ナショナリズムの衰退とそれに伴うイスラーム主義の勃興、勝利、その後イスラーム主義がテロリズムと内紛に陥ってしまい、その挫折に対してグローバル・テロリズムへ突き進む一派があるのと重なってポスト・イスラーム主義の時代が始まるという流れを解説している(つまり、私市教授は社会運動としてのイスラーム主義はテロリズムに陥るとともに挫折した、という見方を取っている)。
 ではポスト・イスラーム主義(ポスト・イスラミズム)とは何か。その時代においては、イスラームは個人の活動の中に落とし込まれ、したがって政治は宗教から解放され政治空間の世俗化(≠反宗教化)が起こる。実際、ムスリム同胞団系の自由公正党も、党としてはシャリーアにもとづく国家という理念を否定しているという。十二分に宗教化された民衆は、宗教的な政府を必要としない、という論理である。私市教授によれば、この潮流が主流となっていくという。

 個人的な見解を言わせてもらえば、果たして本当にそうなるかは時が経たねば判断できないと思っている。結局のところ、確信が持てないでいる。逆に言えば、10年も経てば時代が証明することにはなるだろうが……。

 一つだけ疑問を呈するとすれば、トルコの現与党でありイスラーム政党である公正発展党(AKP)の扱いである。本書ではAKPをポスト・イスラーム主義の先駆けとして位置づけているが、トルコはアタテュルクの独裁以降、徹底した政教分離を国是としてきた。公正発展党が政教分離を建前としているのはその延長線上にある。加えて、これまでイスラーム主義勢力の成長がなかったトルコではおそらく国民はイスラーム主義に対する失望を経験していない(専らクルド系のクルド人労働者党PKKとの闘争がトルコ国内の問題であった)。
 つまり、トルコはイスラーム主義からポスト・イスラーム主義へ向かっているのではなく、一回り遅れてナショナリズムからイスラーム主義へ向かっているのではないか、という疑問である。
 もちろん、アラブの春に影響されてポスト・イスラーム主義がトルコで一足飛びに広がることもありえるだろう(トルコはインターネット普及率でもムスリムが多数を占める国の中ではかなりの高い数値を誇っている)。加えて、AKPやその前身美徳党FP、福祉党RPからすれば、行き詰まりの先に態度を変えた面はある。だが、本書でのポスト・イスラーム主義が広がるとするロジックに当てはめられるかといえばやはり疑問が残るのである。
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鉄勒京二

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