スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

568年 記事番9 ヌールッディーンのルーム侵攻

イスラム歴568[西暦1172-1173]年 完史英訳2巻P213
「ヌール=アッディーンのキリジ・アルスラーン領への侵攻」

括弧内は管理人の注
管理人は翻訳・要約に責任を持たない

以下訳文
 

 この年、ヌール=アッディーン・マフムード・イブン=ザンギーが、イッズ=アッディーン・キリジ・アルスラーン・イブン=マスウード・イブン=キリジ・アルスラーンの王国、特に、マラトヤ、シヴァス、アクサライなどへ、戦争を起こし彼から領土を奪うために出発した。これは、マラトヤとシヴァスのあるじであるズール=ヌーン・イブン=ダニシュメンドがキリジ・アルスラーンに攻撃され、彼が彼の土地を奪い、彼をただひとり追放したからであった。ズール=ヌーンはヌール=アッディーンに懇願し、彼の元にかくまってくれるよう頼んだ。彼は彼を思いやって名誉のうちに受け入れ、彼に王侯にふさわしいものを与え、彼の王国を回復するための援助と努力を請け合った。
 彼はキリジ・アルスラーンに、彼へ領土を返還する仲立ちをしようと申し出たが、彼はこれを拒否した。そこで、ヌール=アッディーンは彼に対して進軍し、手始めにカイスーン、バハスナー、マルアシュ、そしてマルズバーンの全てを奪取した。彼はマルアシュをダフール=カアダ月[原注:1173年6月14-]の上旬に手に入れ、他はそれより後であった。それらが奪取されたので、彼はシヴァスを征服するための分隊を派遣し、それは成し遂げられた。
 ヌール=アッディーンが彼の領地に侵入した時、キリジ・アルスラーンはシリアに近い遠隔地から中心部へ動き、ヌール=アッディーンに彼をなだめ、和平を結ぶために手紙を送った。ヌール=アッディーンは、敵意無く事態を落ち着ける希望を持って攻撃を中止した。フランクの不穏な動きを含む報せが彼の元に届いたので、彼は和平を結ぶことに同意した。しかし、彼は、キリジ・アルスラーンがジハードの遂行にあたって彼(ヌール=アッディーン)を軍隊とともに支援することを取り決めた。彼(ヌール=アッディーン)が彼(キリジ・アルスラーン)に言うには、「貴公はビザンツ帝国の隣人であるが、貴公は彼らを攻撃していない。貴公の領地はイスラームの地にける大部分を占めている。貴公は私とともにジハードを遂行せねばならない」。彼はこの条件と、シヴァスがかつてズール=ヌーンの所有であったころのように、ヌール=アッディーンの代官に委ねられるということを承知した。兵士たちはヌール=アッディーンが死去するまでそこにとどまり、ズール=ヌーンに仕えた。彼の死後、彼の軍隊は去り、クルチ・アルスラーンが戻ってきてその地を回復した。その地は、つい最近の620年[原注:1223年]まで彼の子供たちの手にあった。
 ヌール=アッディーンが遠征途上にあったとき、彼の使者カマール=アッディーン・アブール=ファドル・ムハンマド・イブン=アブドゥッラー・イブン=シャフラズーリーがバグダードから戻ってきて、モスル、ジャズィーラ、イルビル、キラート、シリア、そしてキリジ・アルスラーンの領地とエジプトの統治権を認めるという証書を持ち帰ってきた。
プロフィール

鉄勒京二

Author:鉄勒京二
当ブログは一介の歴史好きが読んだ本を紹介したり、書いた文章を公開したりするための場です。執筆記事は西アジア史関係が多いですが、読書は西アジアにこだわらず地域・時代を広く浅く扱っています。
当ブログの内容を雑誌・書籍等にご利用されたい場合はご一報下さい。
管理人への連絡は掲示板か拍手でどうぞ。

検索フォーム
カテゴリ
リンク
アクセスカウンター
月別アーカイブ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。