560年 記事番4 ルームとダニシュマンド朝の戦

イスラム歴560[西暦1164-1165]年 完史英訳2巻P157
「キリジ・アルスラーンとイブン=ダーニシュマンドとの間の不和」

括弧内は管理人の注
管理人は翻訳・要約に責任を持たない

以下訳文
 

 この年、コンヤとその周辺のアナトリアのあるじである王侯キリジ・アルスラーン・イブン=マスウード・イブン=キリジ・アルスラーンと、マラトヤ及び近隣のアナトリアのあるじであるヤギ・アルスラーン・イブン=ダーニシュマンドとの間で、争いが起こった。彼らの間で激しい戦いが行われた。
 この原因は、キリジ・アルスラーンが王侯サトゥク・イブン=アリー・イブン=アブール=カースィムの娘と結婚したことによる。新婦は莫大な持参金とともにキリジ・アルスラーンのもとへ送られ、その価値は信じられないほどのものであった。マラトヤのあるじであるヤギ・アルスラーンは襲撃を実行し、花嫁を捕らえ、彼女が持参していたものを奪い、彼女と彼の甥、ズール=ヌーン・イブン=ムハンマド・イブン=ダーニシュマンドを結婚させたいと望んだ。彼は彼女に命じてイスラームを棄教させたため、彼女とキリジ・アルスラーンの結婚は無効となり、そして彼女がイスラームに再度帰依し、彼は彼女を彼の甥と結婚させた。キリジ・アルスラーンは軍勢を集め、イブン=ダーニシュマンドに対して進撃した。彼らが戦闘に入った時、キリジ・アルスラーンは破れてしまい、ビザンツ皇帝に保護を求め、皇帝は彼を助けるために大軍を送って寄越した。この間、ヤギ・アルスラーン・イブン=ダーニシュメンドは死去し、キリジ・アルスラーンは彼の領地のいくらかを奪った。彼と王侯イブラーヒーム・イブン=ムハンマド・イブン=ダーニシュマンドは、和議を結んだ。というのも、後者は彼のおじヤギ・アルスラーンを継いでおり、しかし一方でズール=ヌーン・イブン=ムハンマド・イブン=ダーニシュマンドがカイセリを支配し、キリジ・アルスラーンの兄弟であるシャーハンシャー・イブン=マスウードがアンカラを奪ったからである。カレラの間で交わされた合意は全て文書に起こされた。
プロフィール

鉄勒京二

Author:鉄勒京二
当ブログは一介の歴史好きが読んだ本を紹介したり、書いた文章を公開したりするための場です。執筆記事は西アジア史関係が多いですが、読書は西アジアにこだわらず地域・時代を広く浅く扱っています。
当ブログの内容を雑誌・書籍等にご利用されたい場合はご一報下さい。
管理人への連絡は掲示板か拍手でどうぞ。

検索フォーム
カテゴリ
リンク
アクセスカウンター
月別アーカイブ