560年 記事番5 ザンギー朝とルームの対立

イスラム歴560[西暦1164-1165]年 完史英訳2巻PP157-158
「ヌール=アッディーンとキリジ・アルスラーンの間での対立に関する記事」

括弧内は管理人の注
管理人は翻訳・要約に責任を持たない

以下訳文
 

 この年、深刻な不和がシリアのあるじヌール=アッディーン・マフムード・イブン=ザンギーと、アナトリアのあるじキリジ・アルスラーン・イブン=マスウード・イブン=キリジ・アルスラーンとの間で起こり、これは戦争と互いの憎悪にまで発展した。この報せがエジプトに届いた時、エジプトのカリフの宰相であるアル=サーリフ・イブン=ルッズィークはキリジ・アルスラーンに、これを禁じ、彼にヌール=アッディーンと和議を結ぶよう命じる手紙を出した。彼はまた、彼の手紙に何行かの詩を付記している:

 我々は話したがそれが不鮮明なときに、
 正しい道を理解する者がどこにおろう?
 仕事を測り、それをこなす者全てが
 彼が定めた状況の中で成功するわけではない。
 誰であろうと、とこしえの権力などは得る能わず
 誰であろうと、天上の神の意志から逃れ得まい。
 敵が貴公の戦火の味をその口で
 あじわった後―そしてそれはコロシンスの苦味―、
 貴公は貴公らの間の競争の中で互いの憎しみからくる
 火炎が燃え盛るなかで統治に立ち戻るのか?
 貴公らのうち神を畏れる者はおらぬのか?
 貴公らの大勢のうちでムスリムである男はいないのか?
 さあ、神が彼の信仰に勝利をもたらすであろうよ、
 もし我らがその定めに従うならば。
 我らは不信心者に対して決意を持って立ち向かい、
 それらの土地を奪って分けようではないか。

 詩は、まだこれ以上続いている。以下は、学者がこの事件と、アル=サーリフが詩を送ったということについて報告している内容である。もし詩が本当にアル=サーリフのものであれば、この出来事はアル=サーリフが死去した556年のラマダーン月[原注1161年10月24日-11月22日]に近い日に起こったはずである。(また逆に)もし、この詩が彼のものでないならば、この出来事はその付近の日に起こったことではない。可能性があるのは、この対立関係は、アル=サーリフの生前に起こって彼がこれらの韻文を書き、そしてその対立関係がこの付近の日(つまり560年)まで続いていたということである。
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鉄勒京二

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