名士列伝:アル=バサーシリー

『名士列伝』英訳1巻PP.172-174
Al-Basasiri
「アル=バサーシリー」

角括弧内は原注、丸括弧内は管理人の注
改行は管理人が適宜行った
管理人は翻訳に責任を持たない

以下訳文
 

 アブー=アル=ハーリス・アルスラーン・イブン=アブドゥッラー・アル=バサーシリー・アル=トゥルキー[トルコ人]は、バグダードのトルコ兵達の将軍であり、バハーウッダウラ・イブン=アドゥドッダウラ・イブン=ブワイフのマムルークであったと伝えられている。
 彼こそがバグダードで、彼をトルコ兵の長に任じたカリフ・アル=カアイム・ビ=アムル=アッラーに反旗を翻したのであり、彼に支配者としての権威を認めさせ、また自身の名前をイラクとフゼスタンの全てのフトバの中で読み込むように命じたのだった。
 彼の力はとても強大になり、全ての[近隣の]王侯達は彼を恐れた。しかし、彼はイマーム・アル=カアイムに反乱を起こし、彼をバグダードから追い出し、フトバにエジプトの主である[ファーティマ朝のカリフ]アル=ムスタンスィル・アル=ウバイディーの名をフトバで読ませた。
 アル=カアイムはアラブのアミールで、ハディーサとアアーナの領主であったムヒーユッディーン[信仰の復興者]・アブー=アル=ハーリス・ムハーリシュ・イブン=アル=ムジャッリ・アル=ウカイリのもとへ逃れて避難し、彼から年中の生活のために必要なものを得た。セルジューク朝のトゥグリル・ベクが彼を助けるためにアル=バサーシリーを攻撃して殺し、アル=カアイムをバグダードへ連れ戻した。カリフは、その街をはなれてからちょうど一年で、特筆すべき偶然であるが、彼がそこを辞したちょうど同じ日に戻ってきたのであった。この事情についてはよく知られている。
 アル=バサーシリーは451年ズー・アル=ヒージャ月の15日木曜日、あるいはイブン=アル=アズィーミの史書によれば、同月11日の火曜日[1060年1月]にスルタン・トゥグリル・ベクの軍隊によって殺された。彼の首は街を引き回され、体はヌーバ門に磔にされて晒された。
 バサーシリーという名はファールス地方、アラビア語ではファサ地方にあるバサの街の出身という意味で、その地のアラビア語名から形容するならファサウィーとなる。『イダーフ』の著者である文法学者アブー=アリー・アル=ファーリスィーは、この街の出身であり、彼もアル=ファサウィーと呼ばれていた。しかし、ペルシア人たちは特殊な形であるバサーシリーを用いる。アルスラーンについて言えば、彼の出身がバサであり、そのためにアル=バサーシリーと呼ばれたということである。前例はアブー=アル=アッバース・アフマド・イブン=アリー・イブン=バハー=アル=カービスィーの権威においてアル=サーマーニーによって作られている。この単語はそれがどこから伝わったのかを示す余分な文字を含んでいるのだ。
 アミール・ムハーリシュは499年のサッファール月[1105年10月]に死去し、80歳以上だった。彼の系譜は以下のようなものである。
 ムハーリシュ・イブン=アル=ムジャッリ・イブン=アキース・イブン=カッバーン・イブン=シャアブ。イブン=ムカッラド・イブン=ジャアファル・イブン=アムル・イブン=アル=ムハンナ。これより先についてはアル=ムカッラド・イブン=アル=ムサイーヤブの部分で触れるだろう。
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鉄勒京二

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