名士列伝:アル=タバリー

『名士列伝』英訳2巻PP.597-598
Ibn Jarir at-Tabari
「イブン=ジャリール・アル=タバリー」

角括弧内は原注、丸括弧内は管理人の注
改行は管理人が適宜行った
管理人は翻訳に責任を持たない

以下訳文
 

 アブー=ジャアファル・ムハンマド・イブン=ジャリール・イブン=ヤズィード・イブン=ハーリド・アル=タバリー[タバリスタン出身]は、著名なコーラン注釈書と、名高い史書の著者である。一説によれば、彼の祖父のヤズィードはカスィール・イブン=ガーリブの息子だったという。
 アル=タバリーはコーランの解釈学、ハディース学、法学、歴史学などの様々な種類の知識を持ったイマーム[高度な権威を持つ者のこと]であった。彼は様々な対象について素晴らしい作品を著しており、これらは彼の幅広い知識と高い能力を証明している。
 彼はムジュタヒド・イマームの一人で、彼は[自ら判断し、]特定の学者の意見に依らなかった。イブン=タラーラと呼ばれているアブー=アル=ファラジュ・アル=モアーファ・イブン=ザカーリヤー・アル=ナフラワーニーは、彼の学説の支持者であった。私はこの人物についても後に述べるつもりである。
 イブン=ジャリール・アル=タバリーは、伝承の情報の伝達者として高い信頼を得ており、また彼の歴史記述は正確にして信頼できるものである。
 シャイフのアブー=イスハーク。アル=シーラーズィー[vol.1-p.9]は彼の『タバカート・アル=フカハー』[『法学者たちの位階』]の中で、彼(タバリー)をムジュタヒドの中に位置づけている。
 私は収集物やその他の中から以下のようなアル=タバリーの作品を見つけた。
「私は貧困に喘いでいたが、それを私の兄弟には報せなかった。私が富貴になった時、私は友人達を富ませた。私の正直な誇りは自尊心を失わせることを妨げ、もし好意を乞う時は、節度は常に私の友だった。だが、もし私が自尊心を捨て去れば、私は踏み固められた富への道を行っていただろう」
 彼は224年[838-9年]に、タバリスタンのアーモルに生まれ、310年のシャッワール月25日土曜日[923年2月]の夜にバグダードで死去した。彼は翌日、自宅の中にはに葬られた。
 私は旧カイロに近いムカッタム山のふもとのレザー・カラーファの共同墓地の人がよく参拝している廟を見たのだが、その墓石の頭にこのようなことが彫られていた。「これはイブン=ジャリール・アル=タバリーの廟である」。これは史書の著者(=本節でのタバリー)のものだと一般的に思われているが、これは間違いであり、彼は本当はバグダードに葬られたのである。また、イブン=ユーヌスは彼の、エジプトを訪れた外国人について書いた史書の中で、実際の事柄だと述べている。
 著名な詩人のアブー=バクル・アル=フワーリズミーについては後にその人生について記すつもりであるが、彼はアル=タバリーの姉妹の息子であった。
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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