近況と最近読んだ本など

 いやあ、寒いですね。大学では落ち葉がひどいことになっていて毎日のように掃除が続いています。

 今回読んだ本は日本の南北朝時代が中心。戦乱期であっても戦国・幕末以外の日本史はいまひとつ一般ウケが悪いようですが、その中でも特に人気が無いのが南北朝時代のような気がします。まあ司馬遼太郎ですら書きにくいと言っていた時代ですから、色々事情はあるんでしょうが、これもこれで放置しておくのはもったいないなあなどと。
 勉誠出版から太平記の現代語訳が出てまして、これがちょっと欲しいなあと思ってるんですが定価3150円の本が全4巻で、他にも欲しい本があるので優先順位的にちょっと今は手が出ないです……日本の古本屋でも検索してみましたが、あんまり安くなってない。

 勉誠出版と言えば「アジア遊学」シリーズの1月の新刊が契丹特集「契丹[遼]と10~12世紀の東部ユーラシア」だそうで、うちの大学の先生の稿も収録されているようなので購入したいところ。ざっと見たところでは西遼についての稿が無いのが少し残念ではありますが、まとまった各論集が気軽に手に入るアジア遊学に契丹特集が組まれるのはとてもありがたいことです。
 


■櫻井彦『南北朝の内乱と東国』
 動乱の東国史シリーズの第四回配本。
 割と楽しみにしていた南北朝の巻。
 東国史シリーズなので鎌倉府の動向に重心を配りつつ、時代全体の流れとしてもそれなりに分かりやすかったかと思います(ただ個人的には予備知識の無い後半になってくるとしんどかった)。

 印象に残ったところと言えば新田義貞の評価でして。
 「戦前は、足利尊氏との関係のうえで、義貞は後醍醐に忠誠を尽くした「忠臣」とされたが、戦後にはその反動からか「凡将」と評価されてきた」ということで、確かに私も義貞には凡将イメージがありました。ところが、著者の櫻井先生曰く、「後醍醐の上洛要請を無視し、北陸地域の安定を志向した行動に、尊氏とは異なる立場で武家政権の確立を構想した、「実直な東国武士」の姿をみることも可能なのではなかろうか」だそうで、ふーむ、なるほど、などと唸っていたり。
 必ずしも義貞個人に割かれているページが多いわけではないので、下の『佐々木導誉』と一緒に『新田義貞』も買ってきました。人物叢書はとんでもない数の日本史上の人物の評伝が揃っているのでこういう時には重宝することしきりです。

 あとは、直義派と師直派の対立に絡んで、東国での動きが詳し目だったのでこれは収穫だったかもしれません。直義派のキーパーソンの上杉憲顕は中世武士選書で1冊出てるので、そのうち読みたいです。


■林屋辰三郎『佐々木道誉――南北朝の内乱と<ばさら>の美』
■森茂暁『佐々木導誉』
 で、折角なので以前北方太平記の『道誉なり』を読んで気になっていた佐々木導誉(道誉)の評伝を2冊読みました。

 南北朝時代は敵味方の構図がころころ変わって(幕府vs倒幕派、南朝vs北朝、師直派vs直義派etc...)、寝返りも稀ではないので、なかなか面倒くさい時代です(以前に『ラストエンペラーと近代中国』を紹介した時にも書きましたが、清末もそんな感じ)。
 こういう場合、一人ひとりの人間に視点を固定して見た方が分かりよいと思いますが、長い南北朝の内乱期の大部分が導誉の現役時代と重なるので、最初に読む分には彼の評伝がおすすめです。
 さらに、道誉は「ばさら」と呼ばれる要は派手で遠慮のない振る舞いで有名な人なので、文化史方面からでも単純に面白いかと。世阿弥と知己だったりした模様。

 林屋先生の本は、平凡社ライブラリー収録(=安価)で、図版が多く、字も大きいので最初に読んだのはこちら。導誉が拠点とした近江ってのはどんな土地だろう、という視点を使って導誉を書いています。
 一方、森先生の本は安定の人物叢書の1冊で、詳し目ですがその分少し難しいです(もっとも、気合入れればこっちから読んでも問題ないでしょうが)。


■遅塚忠躬『史学概論』
 歴史学を学ぶ者にとって、一度は読んでおかねばならぬものが史学概論。史学科の人たちは多分卒論書く前くらいに読んでるんでしょう。趣味でやってる分には必須ではないですが、色んな本を乱読するだけして振り回されないためにも通読しました。
 著者の考えを述べるにあたって、援用したり批判したり例示したりするための文献が山ほどあって、見るべき人が索引を一瞥しただけでも目をひん剥くレベルで労力のかかっている大著でありまして。私も我妻榮先生の本の名前が出てきたりして驚愕せずにはいられませんでした……。

 私は一応大学で法学を学んでる(ということになっている)んですが、根っこが近いせいかポストモダン思想によってかき回されてるのは文系だとどこの学問でも同じだなあなどと。本書も、歴史学の領分や確実性・不確実性について、段階分けして論じています。
 言語論的転回以降、我々の認識は実体ではなく言語に縛られているという考え方によって、色んな学問の客観性を担保しているものが揺らいで危機に陥ったわけですが、本書では「やわらかな実在論」に立つことによって、「やわらかな客観性」を担保するという方法を主張しています。

 解釈によって揺らぎようがない構造史的事実(数量データなど)、核心部分は変わらずとも、周辺部は揺らぐ事件史的事実、全面的に揺らぐ文化史的事実という3つの事実概念を「事実認識」することを基礎に、それを組み立てて「歴史認識」する、という段階を立て、事実はゆらぐものの実在し、歴史認識については歴史家の主観・解釈によるため実在しない、としているわけです。
 最終的に出てきた歴史認識の妥当性については、反証可能性と論理一貫性によってその科学性を担保し、その歴史認識が事実に基づいていることによって、その歴史認識が「やわらかな客観性」を帯びることになります。
 これでも複数の歴史解釈が残りますが、遅塚先生はそれでもいい、としています。

 何のこっちゃ、と思った方はとりあえず本書を読んで下さい。歴史書を読むにあたっての心構えを学ぶ意味でも、なかなかに重要な本だと思うのでありました。
プロフィール

鉄勒京二

Author:鉄勒京二
当ブログは一介の歴史好きが読んだ本を紹介したり、書いた文章を公開したりするための場です。執筆記事は西アジア史関係が多いですが、読書は西アジアにこだわらず地域・時代を広く浅く扱っています。
当ブログの内容を雑誌・書籍等にご利用されたい場合はご一報下さい。
管理人への連絡は掲示板か拍手でどうぞ。

検索フォーム
カテゴリ
リンク
アクセスカウンター
月別アーカイブ