はじめに

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はじめに

 本稿で扱うヌールッディーン・マフムードは、反十字軍の武将として知られる中世イスラーム世界の君主である。日本の書籍では、彼の事績は対十字軍の文脈の中で語られていることがままある(佐藤『イスラーム世界の興隆』、牟田口『物語中東の歴史』、三浦「東アラブ世界の変容」など)。その捉え方はそれ自体誤りではないだろう。分裂していたシリアをまとめ上げたことは、彼自身の、そして彼の跡を継ぐサラディンの、対十字軍戦争を進める上での基盤となった。
 十字軍の遠征と十字軍国家の出現は、東西の接触として戦争のみならず様々な関係のあり方を見せてくれる世界史上の一大事件であることに、やはり違いは無い。であれば、その「関係」をイスラーム側の勝利という流れに大きく引き寄せたヌールッディーンについて、対十字軍の文脈で語ることは自然であり、また必要不可欠なことでもある。本稿でも、基本的にその文脈からヌールッディーンの足跡を追う。
 しかし、ヌールッディーンは十字軍だけを見ていただろうか。
 後に本文中でも触れるが、彼の父ザンギーの死去の後、アレッポの弟ヌールッディーンとモスルの兄サイフッディーンが和解を果たす際に、サイフッディーンは「私の望みはフランク(十字軍)と諸王が我ら二人(の意志)が一致していることを知ることだ。そうしたら悪事を望む者も我らがいるところでは手を引くだろうから」と述べている。ここでは「フランク」と「諸王」が併置されていることが分かる。周辺諸侯は、キリスト教徒・ムスリムの別無く、彼らと利害関係を持っていたのである。
 彼の周囲にはシリアをまとめ上げてなお、セルジューク朝系の諸勢力やビザンツ帝国、アッバース朝、ファーティマ朝など、様々な勢力が存在していた。ヌールッディーンを中心として周囲を眺めた時、十字軍勢力は懸案ではあるにしろ彼の周囲を取り囲む多くの勢力の一部であっただろう。では、ヌールッディーン本人の視点から彼の生涯を眺めた時、どのような景観が彼の視界を過ぎ去っていったのだろうか。それを考えるのが、本稿の別の目的の一つである。

 ヌールッディーンは十字軍史上の重要人物であることもあって、研究は少なくない。その恩恵に多くを負いながら、本稿を執筆していきたいと思う。また幸いイブン=アルアシールの『完史』、イブン=アルカラーニシーの『ダマスカス年代記』、イブン=ハッリカーンの『名士列伝』など、英訳されている原典も多いので、折にふれて利用したい。
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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