イスラムと近代化/新井政美[編著]


 イスラーム派との関わりに注目し、オスマン帝国末期からトルコ共和国の近現代史を追った本。
 
 トルコ共和国と言えば、ムスリムが多数を占める国家の中でも、「脱イスラーム」を掲げて世俗主義を突っ走った国というイメージが強い。間違いではないのだが、だからと言ってトルコ共和国内にイスラーム派がいないかというとそうではない(現与党公正発展党=AKPはかなりイスラーム寄りの政党である)。
 本書は、トルコ共和国の制度は「世俗主義」ではあったが、「政教分離」ではなかった、と書く。国家が宗教を管理する宗務庁の存在はそれを如実に示す。

 そも、19世紀が終わるまでは、近代化はイスラームの枠内で考えればよかった。「新オスマン人」に代表されるような知識人たち(彼らについては新井政美『オスマン帝国はなぜ崩壊したのか』に詳しい)の中には、イスラームが議会制や憲政さえ正当化する根拠になると考えていた者もいる。
 だが、トルコ革命を経てトルコ共和国が成立すると、「国父」ケマル・アタテュルクは「西洋化」こそ近代化への道であると信じて(そしてその信念はやや形を変えながらも今日まで生き残っている)、カリフ制・スルタン制を廃止した。この一連の政策を堅持する世俗主義=ライクリッキという概念が生まれる。
 しかし、イスラーム派は消えなかった。アタテュルクの死後、第二代大統領となったイスメト・イノニュは、ソ連寄りの姿勢を崩さねばならず(レーニンは比較的親土姿勢であったが、スターリンがそれを転換する)、西側諸国の好意を取り付けなければならなかったこともあり、複数政党制を取り入れる。
 ここで俄に票田としてのイスラーム派の存在感が大きくなり、50年の選挙では、アタテュルクの共和人民党は野党へ転落し、イスラーム派に理解を示す民主党が政権を取った。
 だが、この頃のイスラーム派は、何か(具体的には共和国の「近代化政策」)を否定する論調の強い、かなり「後ろ向き」な姿勢であったという。これは、オスマン帝国末期に、イスラームの枠内で近代化を語り、前を向いていた知識人たちとは対照的である。
 だが、これらの問題は独裁化を進めた民主党に対する反発として、軍部の60年クーデターによってひとまず動きを止める。共和人民党内閣が復活したものの、長持ちせず組閣と崩壊を繰り返し、65年に政権を取ったのは公正党であった。
 この頃から「トルコ-イスラム総合論」が現れ、「ムスリムとしてのトルコ人」を強調し、ナショナリズムの変容を図る論調が目立ち始める。これは後ろ向きのイスラーム派の論調とは一線を画するもので、「世俗主義は反宗教ではない」という論を立てて世俗主義を自らの論の中に取り込んだ。
 80年には、政治の混乱を見かねた軍部が再度クーデターを起こす。しかし、これ以降もイスラーム派は変容しながらも存在感を増し、今日に至るのである。

 以上が概要であるが、恐らく日本とはかなり異なる文化世界での近現代史ということで、慣れない人にとっては読みにくい部分もあるだろう。国際関係も含めて背景事情の説明にかなりのページ数を割かねばならないことも、この分かりにくさに拍車をかけているように思う。読む時には中心となっている論点を見失わないようにしたい。

 また、個別の論点で面白かったところと言えば、振れ幅全体を見渡してイスラムとする視点がある。
 要約すると、宗教にはいわゆる狂信的な者もゆるい考えの者も現れ、それはあらゆる宗教に見られることだろうが、教会組織を持たないイスラームは、それらを裁断する機能を持たず、長い目で見れば「どれもが許容されている」と見えるところにイスラームの特色がある、というものである。
 本書は近視眼的に個別の事件を取り上げて論ずることについて批判的だが、このような考え方が背後にあるのだろう。個人的にはすこぶる納得のいく話であった。
プロフィール

鉄勒京二

Author:鉄勒京二
当ブログは一介の歴史好きが読んだ本を紹介したり、書いた文章を公開したりするための場です。執筆記事は西アジア史関係が多いですが、読書は西アジアにこだわらず地域・時代を広く浅く扱っています。
当ブログの内容を雑誌・書籍等にご利用されたい場合はご一報下さい。
管理人への連絡は掲示板か拍手でどうぞ。

検索フォーム
カテゴリ
リンク
アクセスカウンター
月別アーカイブ