498年 記事番7 ソクマーンの死

イスラム歴498[西暦1104-1105]年 完史英訳1巻PP90-91
「ソクマーン・イブン=アルトゥクの死去」

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以下訳文
 

 トリポリの統治者、ファクル=アルムルク・イブン=アンマールは、フランクに対抗するためソクマーンに援助を頼む手紙を書き送った。彼は援助を頼むにあたって、兵員と資金の提供を申し出た。彼が進軍の準備をしている時、ダマスカスのあるじトゥクテギンから、彼が病で死にかかっているとの情報と、彼が死ねばダマスカスを守ってくれる者がいなくなり、フランクがダマスカスを征服してしまうかもしれないという恐れを伝える手紙が届いた。トゥクテギンは、ソクマーンを後継者に指名し、(自分が生きているうちに、)ソクマーンが街を守るためにすべきことに助言を与えるためにソクマーンを急かした。これを知り、ダマスカスを得てトリポリからフランクを追い払うためにソクマーンは出発を急いだ。
 彼はアル=カルヤタインに付き、この情報がトゥクテギンのもとへ届いたが、この時、トゥクテギンは自分の行為の結果、払うことになる代償を恐れた。この心配が、彼の病状を更に悪化させた。彼の部下たちは彼の計画の欠点を非難し、彼が行ったことが良くない結果を生むだろうと彼を脅した。彼らがトゥクテギンに以下のように言った。「あなたのあるじのタージュッディーンが彼をダマスカスへ防衛のために呼び寄せた時、彼を目に止めて殺したのを見たはずだ」。彼らがいかにしてトゥクテギンの考えを変えられるか思慮している時に、ソクマーンがアル=カルヤタインに到着し、そこで死去したとの報せを得た。彼の部下たちは彼の遺体を持ち帰り、彼らが恐れていた事態は避けられた。
 ソクマーンの死因はジフテリアで、その病状はしばしば彼を襲っていた。ソクマーンの部下たちはヒスン・カイファーへ戻るよう薦めたが、彼は拒否していたのである。彼曰く「いや、私は行く。もし私が回復すれば、私は計画を完遂する。神は私をフランクと戦って死ぬという重荷を厭うような者とは思ってはいらっしゃらぬだろう。もし避け得ぬ運命が来たれば、私はジハードへ向かう殉教者となる」とのことであった。そうして彼らは進んだ。彼は二日間何も喋れず、サッファール月[原注:1104年10月19日-11月22日]に、息子のイブラーヒームを部下とともに残して息を引き取った。彼は棺に入れられ、ヒスン・カイファーへ運ばれた。彼はその意志固く、権謀家で、思慮分別があり、多くのすばらしい事業を行った。私は彼がいかにしてヒスン・カイファーを手に入れたかは既に記した通りである。
 彼のマールディーンの征服について言えば、カルブガーがモスルを離れ、アーミドを攻撃し、その統治者だったあるトルクメンと戦闘していた時に、その男はソクマーンに援軍を頼んでいた。ソクマーンは駆けつけてカルブガーに対陣した。イマード=アッディーン・ザンギー・イブン=アクソンコルはこの時まだ子どもだったが、カルブガーのそばにおり、彼の父の多数の部下たちに付き添われていた。戦闘が激しくなりソクマーンが優位に立った時、アクソンコルの部下たちは彼の主人の息子ザンギーを蹄の入り乱れる戦場に突入させ、「我らが主の子息のため戦え!」と叫んだ。彼らは極めて激しく戦い、ソクマーンは敗れ去った。彼らはソクマーンの甥、ヤークーティー・[イブン=アルプヤールーク・]イブン=アルトゥクを捕らえ、彼はカルブガーによってマールディーンのシタデルに幽閉された。その地の統治者はスルタン、バルキヤールクのお抱え歌手で、彼はバルキヤールクにマールディーンとその周辺地域をイクターとしてねだり、与えられていた。ヤークーティーはしばらくのあいだそこに留め置かれ、アルトゥクの妻がカルブガーのもとへやってきて彼の解放を頼んだ。彼は開放され、望んだ通りマールディーンに住んだ。彼はそこに留まり、その地を乗っ取るために動いていた。
 マールディーンのクルド人たちはこの統治者である歌手を除こうと計画していた。しばしばその周辺地域を襲ってもいた。ヤークーティーがその歌手と連絡を取って曰く、「友情と愛情が我らの間に育ったことと思う。私はクルド人からこの街を守ることによって街を繁栄させたいと思うのだが。私は郊外の住宅地のいくつかの場所を襲撃して、得た資金をあなた方の街に投じたい」とのことである。このことについて約束が交わされ、彼はキラート門からバグダードの郊外へ略奪に出かけていった。繰り返すうち、いくらかの城塞の兵士たちが彼に加わるようになった。ヤークーティーは彼らを気前よく受け入れ、あえて止めようとはしなかったので、彼らはヤークーティーを信用するようになった。
 ある時、彼らのほとんどが彼に加わり、襲撃から帰還しようとしていた時、ヤークーティーは彼らをまとめて捕らえ、足かせをはめた。彼はすぐさま城塞へ向かい、彼らの家族に向かって「もし門を開けぬのならこいつらの首を斬り落とすぞ」と呼びかけた。彼らが拒否したので、ヤークーティーは捕らえられた者のうち一人を斬った。そこで彼らは城塞を彼に明け渡し、そのに居を構えた。
 その後、彼は大軍を集めてニスィビスへ向かい、ジェケルミシュが保持していたジャズィーラ・イブン=ウマルの街を襲撃した。彼の部下たちが戦利品とともに戻ってきた時、ジェケルミシュが彼に向かって進軍してきた。ヤークーティーは鎧を着れず、馬にも乗れないほどの病に苦しんでいた。しかし、彼は馬にまたがり鞍に腰を落ちつけた。屋が彼に命中し、落馬する。ジェケルミシュは彼の許へやってきて、魂が抜けたような様子で泣いて彼に尋ねた。「いったい何がお前をこのようなことに駆り立てたというのだ。ああ、ヤークーティーよ」。彼は答えられず、息を引き取った。アルトゥクの妻は、息子ソクマーンのもとへ行き、トルクメンを集めて彼女の孫ヤークーティーのための復讐を求めた。ソクマーンはジェケルミシュの持つニスィビスを包囲した。ジェケルミシュは大金を内密にソクマーンへ送り、彼はそれを受け取って満足した。ソクマーンは「彼は戦闘で殺され、誰が彼を殺したのかも不明」と報告した。
 ヤークーティーの後、彼の兄弟のアリーがマールディーンを統治しており、ジェケルミシュの臣下となっていた。彼は自分の代理としてあるアミール―彼もまたアリーというのだが―に統治を任せていた。マルディーンの統治者アリーはソクマーンに向かって言うことには、「貴方の甥がマールディーンをジェケルミシュに明け渡すつもりのようです」とのことである。そこでソクマーンは一人でそこを訪れてその地を奪ってしまった。彼の甥、アリーは彼の元へ来て城塞を返還するよう求めた。ソクマーンが答えて曰く「私は単に一族の破滅を妨げるために城を奪ったにすぎない」。彼はアリーにジャバル・ジュールをイクターとして与え、彼をそこへ移した。
 毎年、ジェケルミシュはアリーに2万ディナールを支払っていた。彼の叔父のソクマーンがマルディーンを彼から奪った時、アリーはジェケルミシュに資金援助を頼んだ。ジェケルミシュは答えた。「私は貴方にただマルディーンに対する畏敬の念から資金を渡す。隣人として、貴方がたは恐ろしいからだ。だが、好きにするがいい。あなたは私を凌ぐような力は持ってない」。
プロフィール

鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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