559年 記事番3 バーニヤース奪取

イスラム暦559[西暦1163-1164]年 完史英訳2巻PP148-150
「ヌールッディーンがいかにしてフランクからバニヤースをも奪ったか」

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以下訳文
 この年のズール=ヒッジャ月[1164年10月20日-11月17日]、ヌールッディーンはダマスカス近くのバーニヤースを征服した。この地は543年[1148-9]年以来フランクの手にあった。彼がハーリムを征服した後、彼はモスルとディヤルバクルの援軍に帰還することを許し、彼はティベリアスへ向かうことを明らかにした。残ったフランクはその地へ兵力を割いて防衛と強化に努めていたからだが、彼は(その宣言とは裏腹に、)守備兵の残っていないバーニヤースへ急いだ。彼はそこを包囲して攻撃をしかけた。軍勢の中には彼の兄弟、ヌスラトゥッディーン・アミーリ・アミーラーンがいたが、矢に当って片目を失明した。ヌールッディーンが彼を見て言うことには。「もしお前のために用意されている報いが明らかになったなら、お前はもうひとつの目を失うことさえ望むだろうさ」。彼は締め付けを強化した。また、フランクが軍を招集したが、ハーリムで兵士が殺害されたり捕らえられたりしたために弱体化しており、この地が陥落するまでに集結させることができそうにないという報せを聞いた。ヌールッディーンはシタデルを奪取し、物資と備品とともに兵士を入れた。彼はティベリアス地方の歳入をフランクと分割する協定を結び、その協定のために、彼らはその土地について毎年貢納金を治めることを約束した。
 ハーリムの失陥とバーニヤース包囲の知らせを受けて、エジプトのフランクたちはバーニヤースに駆けつけるためシールクーフに取引を持ちかけた。しかし、彼らはバーニヤースが陥落したそのほんの少し後に到着した。ヌールッディーンはダマスカスへ帰還するためその地を離れており、その手にはその美しさと大きさから「山」と呼ばれたルビーをはめ込んだ指輪があった。これはバーニヤースの藪林で彼がなくしていたものだ。藪林は多くの樹が鬱蒼と茂っている場所であった。彼がそれを落してからしばらく行ったところで何が起こったかに気づき、最後にそれが手元にあったのを確認した場所を告げて、部下たちに指輪を探しに行かせた。彼曰く「そこで落としたと思う」とのことであった。彼らは戻って見つけてきた。あるシリアの詩人が――私は多分イブン=ムニールだと思うのだが――彼を称賛し、この遠征と「山」のルビーに触れて祝い、歌っている[カリフ、アル=マフディーとアッバース朝の多くの後継者たちは「山」と呼ばれたルビーを所持していた。いずれであれ大きな宝石がその名前を与えられるのはビールーニーによって明らかである。他の「山」のルビーは、ファーティマ朝の宝物庫にも存在した]。

 もし疑い深い人が汝をアンチキリストの炎を消し去る
 マフディーかどうかと問うたなら、
 汝が込み入った樹と丘の間で失った「山」が
 戻ってきたことから明らかだ。
 ソロモン以外は与えられなかった
 ……………[文意が不明瞭で恐らくこの部分は欠落している]
 ……汝の力の玉座
 それは玉座のようで、瞬間ごとに高みへ登る。
 七つの海がそれを飲み込んでも
 汝がそれに命ずれば、海はそれを噴き出すことだろう。
 
 シタデルを征服した時、彼は、バーニヤースをフランクに明け渡したムイーヌッディーン・ウヌルの息子と一緒にいた。ヌールッディーンは彼に言った。「この征服によってムスリムは喜びの種を得たが、あなたもまたそうだろう」。「それはどのような理由で?」と、彼は尋ねた。「あなたの父の肌を焼く炎を、今日神は弱めたもうただろうからだ」。
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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