562年 記事番1 第二回エジプト遠征

イスラム暦562[西暦1166-1167]年 完史英訳2巻PP163-164
「アサドゥッディーン・シールクーフのエジプトへの帰還についての記事」

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以下訳文
 559年[1163-4年]の記事で、私は既にアサドゥッディーン・シールクーフのエジプト遠征について述べ、その顛末とシリアへの帰還について記した。シリアへの到着した後、彼はヌールッディーンに相変わらず忠誠を捧げていた。
 エジプトから戻った後、アサドゥッディーンは再度のエジプト遠征の計画について熱心に主張し続けた。この年のはじめ、彼は兵の装備を整え、精鋭の先頭に立って出発した。ラビー2月[1167年1月25日-2月22日]のことである。ヌールッディーンは彼に何人かのアミールを随伴させ、軍勢は2000騎に達した。ヌールッディーンはこの計画に乗り気ではなかったが、アサドゥッディーンがあまりに熱心なために彼を送り出す他なかった。災厄が彼らの上にふりかかり、イスラームが衰退してしまうという恐れが彼の心の中にあったのである。彼らが軍を編成して出発した時、右手にはフランクの領土が存在した。彼らはエジプトに到着した後、アトフィーフまで南下し、その付近でナイルを西に渡河した。カイロ旧市街の対岸にあるギザに野営し、50日をかけて西部諸州の統治権と裁判権を確保した。
 シャーワルはアサドゥッディーンの接近の報を知り、フランクへ援軍の派遣を頼んだ。彼らは言われたとおりにかけつけた。エジプトへの野心がり、さらにもしアサドゥッディーンがエジプトを征服してしまえば、ヌールッディーンとアサドゥッディーンに対して、彼らの国が持ちこたえられる望みがなくなるからであった。希望が彼らを率い、恐れが彼らを急かした。カイロに到着し、彼らは西岸へ渡った。アサドゥッディーン軍は既に上エジプトまで来ており、バーバインと呼ばれている場所へ進軍した。エジプト軍とフランク軍は彼を追って、ジュマーダー2月25日[1167年4月18日]に会敵した。アサドゥッディーンはエジプト・フランク軍に間諜を放っており、敵の軍勢の数と装備、決戦の意志を情報として得ていた。彼は一戦を交えることに決めたが、士気は低く、生き残るよりも破滅するほうが容易いこの危険な状況下では軍の腰のねばりが弱くなる恐れがあった。というのも、数が劣勢で本拠地から遠くはなれており、道中でも危険があるからである。彼は軍と話し合ったが、皆彼に対してナイルを東へ渡ってシリアへの戻るべきだと進言した。
「その可能性は高いことですが、もし我々が敗れれば、我々はいったいどこへ逃げることができ、我々をいったい誰が保護してくれるというのですか。見渡す限り、この土地の兵士も市民も農民も皆我々の敵ではありませんか」
 ヌールッディーンのマムルークのひとり――シャラフッディーン・ブズグシュと呼ばれており、シャキーフのあるじであり、勇敢な男だった――が、立ち上がって彼らに言った。
「捕虜になったり殺されたりすることを恐れる者は、一切我らの王に使えることを許さぬ。いっそ妻とでも一緒に家へ引きこもっているがいい。神にかけて言うが、我々がヌールッディーンのもとへ何の戦果も、あるいは何の英雄的行為の報告ももたらさず帰ったならば、彼は確かに我々の知行地も給与も召し上げ、仕官して以来我々が彼から得たものを払戻させるだろう。彼は言うだろう。『お前たちはムスリムの財産を得ながら的の前から逃げ去りエジプトのような土地をみすみす不信心者に明け渡したのだ!』と。これは紛れもない真実だ」
 (これを受け、)アサドゥッディーンが言った。
「この意見は正しい。彼の進言に従おう」
 彼の甥、サラディンは同様の事を述べ、彼らに賛意を示すものが多くいた。戦うことで全員が一致した。アサドゥッディーンはエジプト・フランク軍が接近し、戦闘に入るまでその場にとどまっていた。彼は輜重隊を真ん中に置き、細心の注意を払った。というのも、それを地元民の略奪にさらされうる他の場所に置くわけにはいかなかったからである。彼はサラディンを中央に置き、サラディンとその部下に以下のように言った。
「私がエジプト・フランク軍の立場なら、中央に対して突撃をかけるだろう。彼らがお前たちに突撃をかけたら、あえて危険を冒す必要はないから全力では戦うな。連中の前に道を作って逃げ、もし連中が追いつかないようなら踵を返させろ」
 アサドゥッディーン自身は忠実で頼れる勇敢な精鋭を選りすぐった。彼は精鋭たちとともに右翼に陣取った。敵味方が衝突死、フランクたちは彼が予想した通り中央に突撃をかけた。その場にいた兵はしばらく戦った後、後退をはじめた――が、混乱は起こさなかった。フランクたちが彼らに追いすがっていったその瞬間アサドゥッディーンは突撃に加わらなかったフランク軍とエジプト軍の歩騎に突撃をかけた。彼は敵を蹴散らし斬り伏せ、多くを殺しまた多くの捕虜を取った。[他方の]フランクたちが追撃から戻ってみると、味方の軍勢が破れてまったく居なくなっている戦場を見ることになった。彼らは再び逃げた。これは最も記録すべき事柄である。2000騎の兵がエジプト軍と地中海東岸のフランクの軍を討ち破ったのだ。
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鉄勒京二

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