ハプスブルク・オスマン両帝国の外交交渉/藤由順子


 第一次世界大戦に至るまでのハプスブルク君主国(オーストリア・ハンガリー二重帝国)と、オスマン帝国の外交交渉を扱う本。
 
 オスマン帝国衰退期の研究は少なくないが、言語の壁もあり外交関係を主題としたものでまとまった分量があるものは数がない。本書はその状況下で各種の一次史料や外交官の回想録、そして各種の先行研究を用い、ベルリン会議で築かれた国際体制がハプスブルクによるボスニア・ヘルツェゴヴィナ併合で突き崩されてから、第一次世界大戦に至るまでの両帝国の外交交渉をまとめたものである。

 ハプスブルク家によるボスニア・ヘルツェゴヴィナ併合が青年トルコ革命に対する危機感から惹起されたものであったり、ハプスブルクがイスタンブル政府とサロニカの「統一と進歩委員会」本部という二つのファクターと二重外交を展開していたりといった題材が、ハプスブルク家の外相エーレンタール、イスタンブル駐在大使パラヴィチーニ、あるいはオスマン帝国側の大宰相キャーミルなどの交渉当事者レベルでの視線をもとに記述されている。さらには、参謀総長コンラートのバルカン問題に対する認識や、リビア戦争(いわゆる伊土戦争)に至る外交交渉などなどどれも興味深い。

 個人的に面白かったのは「(オスマン帝国憲法の)第8条(……)は、諸民族の平等を意味しているのである。したがって、2つの民族がその他の諸民族を支配していたオーストリア・ハンガリーの最も怖れる原則であった」という分析で、ともに多民族国家であるハプスブルクとオスマン帝国の間で、ミドハト憲法の復活によってオスマン帝国の「先進性」がハプスブルクに対する脅威になってしまったという点や、二重帝国の外交の決定におけるハンガリーの占めるウェイトの大きさ、あるいは第二次立憲制期に「統一と進歩委員会」が議会の外で何をしていたか、などである。
 ある程度の予備知識は必要だが、ヨーロッパ内でほぼ完結してしまう外交史に物足りない人は読んでみるといいのではないだろうか。
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鉄勒京二

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