飯田洋介『ビスマルク』


 ドイツ帝国宰相ビスマルクの評伝。
 管理人はビスマルクについての本を読むのは世界史リブレット人の『ビスマルク』に次いで二冊目だが、本書も250頁ほどながら彼の生涯について一通り読みやすい本である。
 
 「ドイツ統一の宰相は常に巨漢」と言ったのは、「二度目の統一」すなわち東西ドイツ統一を成し遂げた首相ヘルムート・コールその人であったが、「一度目の統一」すなわちドイツ帝国を作り上げたのは、コールが自身を重ねあわせたビスマルクだった。
 ビスマルクがたとえに持ちだされるのはビスマルク以降の人物だけでなく、ビスマルク以前の人物、ドイツ騎士団のプロシア地方進出を決定づけた総長ヘルマン・フォン・ザルツァもエーリッヒ・カスパーによって「13世紀のビスマルク」と呼ばれている。
 これらは縦軸すなわちドイツ史におけるビスマルクであるが、横軸、同時代の世界史を見た時、清朝の李鴻章、日本の伊藤博文もともに「東洋のビスマルク」と呼ばれている。
 要するにビスマルクという人物の存在はドイツ史において大きなターニングポイントであると見なされており、善かれ悪しかれ引き合いに出されるのだ。

 しかし、ビスマルクの姿は数多の「物語」の中に埋もれており、引き合いに出された時のイメージが実像に近いとは限らない。著者は言う、ビスマルクは評価の揺れ動きの激しい人物で、ドイツ統一を果たした「英雄」・「英霊」としての肯定的評価から、ヒトラーの先駆者として断罪する否定的評価の間を右往左往しており、一人の人間・政治家として評価できるようになったのはようやく近年のことである、と。
 その実これはビスマルクに限った話ではなく、フリードリヒ大王はじめプロイセンにまつわる事柄には多かれ少なかれまとわりつく問題で、セバスチァン・ハフナーはプロイセンにまつわる肯定的な見方を「黄金のプロイセン伝説」、否定的な見方を「黒のプロイセン伝説」と呼んでいる。

 前置きが長くなったが、内容の話に入ろう。
 本書の副題は「ドイツ帝国を築いた政治外交術」である。自身は保守派でありながら、革新的手法を積極的に用いるという分析は世界史リブレット人の『ビスマルク』でも示されていたが、原理原則やイデオロギーは犬にでも食わせて、彼が唯一立脚すべきと認める「国家エゴイズム」を取るというスタンスは、保守派の理念を固持する保守強硬派と一線を画していた……と説明されるとなるほど彼の特異性というものがなおのことよくわかる。
 彼が取った手法は、一つはメディアの利用であり、今一つは議会・協会を通じて自身の目的を達成しようとするものであった。外的環境の変化を巧みに利用する彼の能力を著者は「術〈クンスト〉」と呼ぶ。

 多重同盟網によるいわゆる「ビスマルク体制」がその実場当たり的対処の結果であり、内政においても彼の思った通りの結果が出ていないとしつつ、その政治手法や「政治的反射神経の良さ」から、なおもビスマルクが一時代を築いたことは十全に評価してよいとする。これもまた彼の「術」であった。

 面白いのは彼の引退後で、決して政治活動から身を引いたわけではなく、馴染みのジャーナリズム利用という手法を用いてプロパガンダ的な言説をばらまくなどあれこれと策動していたようだ。そして生前からその兆しが見られた彼の「神話化」は、その死後大きなうねりとなるのだという。

 「大プロイセン」を目指していたはずが結果的に「小ドイツ」になってしまったこと然り、ビスマルク体制が結局のところ彼なくしては存続不可能なシステムになってしまっていたこと然り、本書を読むと著者の描くビスマルク像は確固として立つ樹というよりは、その政治的瞬発力によって回り続けることによってのみ立ち続ける、まるで独楽であるかのような印象を受ける。なかなか疲れそうな人生だが、引退後も精力的に動いていたことを見るに、本人に休む気はなかったようだ。
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鉄勒京二

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