『歴史から理論を創造する方法』に関する話


 最近出た本で、保城広至『歴史から理論を想像する方法――社会科学と歴史学を統合する』というものがあります。これを読んで以降、一筆書いておかねばと思っていたのですが、いつのまにやらこんな時期になってしまいました。
 

 さて、著者のご専門は奥付によると「国際関係論、現代日本外交論」、つまり社会科学系(政治学)とのことで、本書の問題意識は、歴史学と社会科学の対立関係(特に、歴史学側からの社会科学への低評価)にあるようです。
 互いから見た互いの問題点を、以下のように著者はまとめています。
「社会科学の側には、現実を理論に無理矢理押し込んでしまったり、自分に都合の悪い歴史解釈は切り捨てたりする傾向のあることが浮き彫りになる。また、歴史学者の側には、自らの研究対象に埋没してしまい、広い見地からそれらを捉えることのメリットを軽視してしまう傾向のあることが指摘される」(p.4)
 著者が例にあげているのは、前者についてはB.ムーア『独裁と民主政治の社会的起源』への歴史学者からの批判、ラムザイヤーとローゼンブルースの『日本政治と合理的洗濯』への歴史学者、就中政治史研究者からの批判です。
 また後者は、歴史学者からの史学文献の二次利用(言い換えると、原史料に社会科学側が直接当たらないこと)への批判は不当である、という反論が一点目。これは歴史学者と社会科学者の住み分けの問題であるという主張です。
 また二点目として歴史学者の視野が狭いこと、言い換えると、時代・地域・分野の蛸壺化、およびそれに伴う自身の研究対象のみから特殊化・一般化をしてしまうことへの批判(これは歴史学側内部からの批判が例に挙がっている)、が例に上がっています。
 これらの問題を解消するために、著者は一人の研究者が両方の仕事を行うことを提案します。つまり、自身の実証研究から理論を構築する、という方法です。(ここまでが序章)

 とは言え、一人の研究者が渉猟しうる文献の量は限られています。そこで著者が提唱するのが時間と空間を限定した「中範囲の理論」です。これは、歴史学者の側からは遅塚先生が『史学概論』で提示した「構造史」という概念に近いのではないかと思います。また既に歴史学の側には例えば、日本中世史の黒田俊雄先生の権門体制論という理論が存在し、これに基づいた説明が日本中世史では行われています(対立説もありますが)。これに限らず歴史学側には「○○論」は多数あり、これが事実上「中範囲の理論」ではないかと思います。
 また、歴史学にはプロソポグラフィという手法があり(例えば典型として何炳棣『科挙と近世中国社会』が利用しています)、これも著者の提唱する方法に近いものがあります。
 社会科学側には、分析する対象の歴史性を捨象することは不可能である(そして歴史性を捨象した理論の構築はいまだかつて成功していない)という旨、著者は述べており、どちらかと言えばこちらのほうが鋭い指摘ではないでしょうか。
 副題には「社会科学と歴史学を統合する」とありますが、実際、著者の言うとおりこの二つの分野はさして離れているわけではなく区別も実のところ曖昧で、つまりは「統合する」というよりも「統合しえないとされてきたが、実際は統合されており、その実態を理論化して示す」くらいが実際のところではないかと。
 とはいえ、社会科学には疎いのですが、歴史学側には近年のグローバル・ヒストリーの流行や、「新しい世界史」などでぐだぐだに煮詰まってきた部分があるので、こういう風にすっきりとした方法論を提示してくれる本はなかなかありがたいのではありました。
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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