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ヴェニゼロス、ケマルをノーベル平和賞候補に推薦する

 つい昨日、今年のノーベル平和賞はチュニジアの民主化に貢献した「チュニジアン・ナショナル・ダイアログ・カルテット」に授与されることが発表されました。当のチュニジアを皮切りとした「アラブの春」以降、多くのアラブ諸国で政変が起こりましたが、内戦や混乱、軍政の復活などでその後の民主化プロセスはうまく行っているとは言えません。ただ、唯一チュニジアだけが依然状況は厳しいもののひとまずの成功例と見なされています。
 選考委員会は「賞を通じて、中東や北アフリカをはじめ世界中で、平和と民主主義の実現のために努力しているすべての人々を励ましたい。チュニジアの事例が他の国々の手本となってほしい」と述べています。シリアといいリビアといい、安定にはまだ遠い道のりがありそうですが、より早い平和が訪れることを願ってやみません。

 さて、ノーベル平和賞が政治利用される(あるいは、そう見なされる)ことが時々あります。その事の良し悪しはさておき、ギリシア首相エレフセリオス・ヴェニゼロスがトルコ共和国大統領ケマル・アタテュルクをノーベル平和賞に推薦したことがありました。
 詳しい方ならご存知かもしれませんが、この二人の突出した政治家は、第一次世界大戦の結果オスマン帝国が解体されていた時期に起きた希土戦争開戦当時のギリシアとトルコの指導者でした。もともと混住地域の多かったギリシア人とトルコ人(この概念もこのころ生まれたものですが)は互いにこの戦争で血で血を洗うことになります。
 ヴェニゼロスは開戦早々、選挙で負けて退陣していますが、彼が政権に不在の間にギリシア軍は戦争に負け、小アジアから撤退することになります。

 この戦争の後、ケマルはトルコ民族主義を固め、ギリシアの政権に返り咲いたヴェニゼロスも、自身がかつて拘った「メガリ・イデア」(大ギリシア主義)を放棄し、領土拡張方針を改めます。二人とも、大国は信用できないという認識と、領土の拡大を望まないということは共通していました。そして彼らはともに、ある意味ではオスマン帝国に生まれ、オスマン帝国と闘った人物でもありました。
 1930年、両政府はアンカラ協定を結び両国の境界の確定を行いました。この流れの中で、ヴェニゼロスはトルコとの関係をさらに進めるため、ケマルをノーベル平和賞に推薦したというわけです。

 結局ケマルは受賞しませんでしたが、この二国はその後戦火を現在まで交えていません。常々、仲が悪いと言われるギリシアとトルコがなんだかんだこれまでやってこれた一つのエポックメイキングな時期に、こんなエピソードがあったというお話でした。



「アラブの春」以降の各国の状況については松本『アラブ諸国の民主化』が簡便。ヴェニゼロスについては村田『物語 近現代ギリシャの歴史』(当記事の大部分の元ネタもこの本)、ケマルはさしあたり新井『トルコ近現代史』。
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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