長堀祐造『陳独秀』


 世界史リブレット人の一冊。中国共産党初代指導者、陳独秀の評伝。
 
 陳独秀という人物について、管理人はその事績について恥ずかしながらあまり知らなかったのだが、彼は新文化運動の担い手であり、中国共産党創設メンバーの一人であり、のちにトロツキー派となって中国共産党を追われた人物である。

 記述は時系列順だが、日本にいた時期のことや魯迅と陳独秀の関係について等はまとめて記述があり、彼が日本で語学を学んだことなどが書かれている。
 そもそも彼はアナーキズムの影響を受け、テロを手段とする革命家たちと関わりはあったものの、はじめあまり政治運動に関わる気はなく、まず新文化運動に携わり、『新青年』を発行していたことが語られる。魯迅や周作人、胡適などとの深い交流もこの時期のことのようだ。
 どうやら、陳独秀が政治に関わり始めるのは五四運動の頃かららしく、この時にビラを撒いて逮捕されている。『新青年』同人の分裂もあり、陳独秀は運動家としての色を強めていくこととなる。

 政治にコミットする方針を固めた陳独秀は、折からのロシア革命にも影響を受け、中国共産党を結党し、初代の指導者となる。
 ところが、コミンテルンとの関係では、その意向に背くわけにはいかず、さりとて中国共産党内部でもコミンテルンの方針に反対するものもおり、陳独秀は自らあまり納得していない方針を強制するために彼らを説得しなければならないという、板挟みの立ち位置にいたようだ。国共合作や北伐についても陳独秀の思うようにはなっていなかったらしい。結局、コミンテルンの方針が失敗したために責任を取って辞任せざるを得ず、そのままトロツキー派に転じて中国共産党を去る。

 トロツキー派に転じてからの陳独秀はトロツキー本人からの高評価にも関わらずパッとせず、日本軍機の飛来するなか死去した。

 コミンテルンの方針の執行者だったにも関わらず、その責任を取らされた陳独秀は、現在の中華人民共和国でも評価が難しい人物であるらしい。日和見主義者のレッテルを貼られたことは、おそらく本人にとっては不本意であっただろう。
 また、本書での陳独秀の評価に関して、歴史上の人物については(特に近現代史であれば意識しづらいことだが)当時の文脈・価値観で判断すべきであるということに留意したい。当時の中国の思想状況はかなりの波乱があり、それは陳独秀自身の思想・行動の遍歴からも見て取れる。そんな近代中国で、陳独秀は彼なりに前を向いていたのだろう。
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鉄勒京二

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